東京、高輪台駅から北へ歩いて3分ほど。桜田通り沿いの落ち着いたエリアに「高輪 しん山」があります。オーナーは料理人の平山晋さん。二十四節気に応じた日本料理をコース形式で楽しめるお店です。
平山さんの料理人としての思いや独立までのストーリーを伺ってきました。
(2024年7月17日 取材)
— 「高輪 しん山」は、どんな特徴を持った日本料理店ですか?
まずコンセプトの一つに、「古木の空間で日本料理をリーズナブルに提供する」っていうのを立ててます。
基本はコース料理。なぜなら飲食店をやるにあたって、フードロスは絶対にやりたくないっていう気持ちがあって。ほかにも、温かいものは温かく、冷たいものは冷たく、食材の時間軸を把握した料理をやりたいのもあってコース料理にしてます。ほかには食文化に通じた料理。節句とか、時節や季節を大切にしたコース料理にしています。
もう一つの売りとしては、最後に出す土鍋ご飯ですね。米離れが進んでいる昨今ですけど、一方でこだわって生産されている米農家さんが全国にはたくさんいらっしゃるので、そういうお米の良さをしっかり伝えていこうっていうので出してます。
— 今おっしゃったような食材に対する敬意のような感覚は、何かのきっかけがあってそう感じるようになったのですか?
最初からありましたね。食材、物を大切にするっていう感覚は、昔からですね。
残ってしまってもし使えないのだったら、まかないで食べるか、サービスで出すか、ですね。だからうちは、ほぼロスはないですね。残った野菜の端材もしっかり乳酸発酵させて漬物にするとか。
ロスを出さないっていうのは僕としては絶対で、冷蔵庫の中も一日が終わったら綺麗な状態になるようにするのは、料理人として絶対だと思いますね。
— ちなみに、飲食の世界にはどんな流れで入られたのですか?
料理がめちゃくちゃ好きで、っていう感じで始めたんではないんです。
僕は佐賀の出身なんですけど、高校まで甲子園を目指してた高校球児だったんですね。甲子園に行けたら大学へ行く、行けなかったら就職するっていうのを自分の中では決めてて。
ただ、もともと細かい作業は好きだったんですね。高校で選んでた学科が調理師免許がとれる学科だったので、それと並行して野球を一生懸命やってたんです。
でも、甲子園へ行くっていう夢が途絶えた時に、「職人の道を選びなさい」と、父からも背中を押されたというのもあって料理人になろうと。
— 野球を頑張った経験はそのあとに繋がってたりしますか?
そうですね。「努力は報われない」って言う人も多いと思うんですけど、僕は「努力は報われる」と思っている人間で。やったらやったぶん成功体験に繋がるし、自分の力になる。
だから似てますよね、料理人もけっこうアスリート的なところがありますので。野球の経験は今の自分にかなり生きてると思います。
— メンタルとかですかね?
そうですね。「人が寝てる時にも素振りをしろ」って言う父のもとで育ったので。
人と同じように朝起きて、人と同じように寝て、同じ時間を過ごす毎日ではなくて、人が寝ている間に練習する。そういう習慣が身についていたので、そこは料理人になっても生きていると思います。
— 独立して初めて作る自分の店ですが、その施工に山翠舎を選んだのはなぜですか?
山翠舎さんなら、圧倒的な差別化ができるなと思ったからですね。
何万とお店のある東京で、普通の内装のお店を作って、自分の個性だけでやっていくっていうのは、自分自身が相当なスペシャリストじゃないと難しいってのがわかってたので。
— そして実際に出来上がりましたが、どうでしたか?
すごく自分に合ったお店に仕上がったなと思います。
この木(店内の古木の柱)も好きですし、これ(入口の蔵戸)も好きですし。カウンターも好きですね。まかないをいつもカウンターに座って食べてるんですけど、ほんと、いいですね。
— オープンして半月が過ぎましたが、今のところどんな具合でしょう?
まだ広告は食べログ以外は出てないんですけど、ありがたいことにけっこう近隣の方たちにフラッと寄っていただいてますね。「普段使いしやすい」っていうお声もいただいてます。
いちばん嬉しいのは、帰り際に次の予約をとっていかれる方が多いことですね。
— 将来の夢だったり、こういう店にしていきたいなとか、何か思い描いていることはありますか?
そうですね。ちょっと違う業態にもチャレンジしたいなっていう気持ちはあります。今まであるようでなかったようなお店を作りたいって思ってますね。
— 今日はありがとうございました。