インバウンド観光で賑わう浅草、国際通り沿いに「Nihon Miyabi 浅草本店」はあります。日本の伝統工芸品を扱うECショップ「Nihon Miyabi」の、初路面店として2024年9月にオープンしました。

 

そもそも、「Nihon Miyabi」はどういった背景から誕生した店なのか? そしてなぜ今回、リアル店舗の開設に至ったのか? そこには、創業者千葉竜哉さんが抱いてきた、故郷と日本の職人技への想いがあります。

 

店舗オープンから3ヶ月が過ぎた2024年12月、お店を伺い、お話を伺ってきました。

 

(2024年12月10日 取材)

 


 

一番ではないんですけど、入社3年目から上位の成績でした。

 

 

そうですね。

 

ご存知の方も多いと思いますが、経営権の問題で色々ありまして、「大塚家具」と「匠大塚」の二つに分かれたんですけど、私はお父さんの方についていって、そこでいろんな店を任せてもらいました。2万7000平米ある売り場で、その展示を監修したり、仕入れる商品を決めたりしてたんですね。

 

 

商品の搬入やお届けで、お客様のご自宅や内装を見るケースも多かったわけです。

 

当時は大田区の自宅から片道2時間かけて春日部まで通っていたんですけど、ちょっと自分でやりたいことがでてきたのと、もっと家族との時間を持ちたいっていうのもあって、第2子が生まれたのをきっかけに会社を辞めて、それで自分の会社を作ったんです。

 

私はもともと宮城県石巻市の雄勝っていうところで育ってまして、

 

 

えっ、ほんとですか?

 

 

そうです、そうです。自分で会社を作ったのも、最初はその雄勝硯を売るために始めたんですよ。

 

震災が起きてから、東京にいた宮城や石巻の人って、お父さんお母さんが心配だからって、結構、郷里に戻ったんですよね。でも私の場合、娘や息子も小学校に行き始めてて、生活の基盤が東京にできてしまっていたので、地元に戻って貢献したいと思っても、それがなかなかできなかったんです。

 

それでずっとモヤモヤしていたんですけど、「東京にいても何か協力できることはないか」と考えたら、自分はずっとバイヤーで商品を集める仕事、いいものを集める仕事をしてきた。自分が売れると思って仕入れたものはこれまでも結構売れたし、あんまり外したことがない。だったら地元の工芸品、雄勝硯を売る仕事ができるかもしれないと。

 

震災で雄勝硯の職人さんもけっこう亡くなられてるんですね。4400人くらいいた雄勝の人口も、今では1200人まで減ってまして。

 

 

はい。少なくなっちゃったんですよ。そして雄勝硯の職人さんも高齢化ですよね。

 

江戸切子とか津軽びいどろみたいに華やかな伝統工芸品は、「私、やりたいです」っていう若い人もいるんですけど、雄勝硯は地味で、成り手も少なくて。

 

でも歴史的建造物の東京駅、あの屋根は実は全部、雄勝硯で葺かれているんです。玄昌石という石が材料になっているんですけど、その地区でしか取れない石で、室町時代から文献に出てくる古い歴史があるんです。それを応援できないかっていうので、ECサイトで販売を始めたのが最初なんです。

 

 

そうやってECで販売してたら、「実物を見たいんですけど」っていう声が多く届くんですね。

 

通常のECショップと比べ、工芸品なのでちょっとお値段的には高めの品が多い。「物を見て買いたい」っていうのは当然のニーズだなと思って、それでECサイトも軌道に乗ってきたので、今回、実店舗を作ったんです。

 

さっきまでお店にいた女性スタッフが、匠大塚時代の後輩なんですが、「千葉さんのところに行けませんか?」って言ってくれて、一緒に働くことになったんですね。彼女がイラレ、フォトショを使えるんです。

 

あともう一人、白川っていう取締役がいて、彼がMEO対策、いわゆるマップの最適化、外国人の方をターゲットに検索で上位表示されるよう、SEO対策のプロの人間としてやってくれているんです。

自分一人ではここまではできなかったので、心から二人には感謝しています。 

みんなの頑張りもあり、おかげさまで、グーグルで「asakusa gift」とか「asakusa souvenir」とかで検索すると、トップで表示されるようになってます。

 

 

雄勝硯に始まったものの、他の伝統工芸もやっぱり状況は同じで、後継者問題にはどこも悩まれているんです。

 

正直なところ、地方の伝統工芸品って値段が安すぎるんですよね。例えばこの鉄瓶が25,000円です。で、地元の人が地元で売ると、「何だ、こんな高い金額つけて売って」みたいなことを言われちゃう。でも東京に持ってくると、「この作りでこの値段は安すぎる」って言われるわけです。

 

何が言いたいかというと、技術に見合った適正な価格を付けていかないと正直、儲からない。そうなると若い人がその世界に入ってこない。そして跡を継ぐ人がいなくなると、どんなにすごい技術だったとしても、日本から消えてしまうわけです。

 

さっき言った、東京駅の屋根のスレート石を作る職人がいなくなれば、東京駅も今ほどの価値を持つ観光地にならないわけです。そういうことをもっと知っていただくために、私は英語はそんなに得意ではないんですけど、ポケットトークを使いながら海外の方にも説明しているんです。

 

一つ思ったのは、浅草近辺を見た時に、コロナでなくなってしまったお土産屋さんは多いんです。現在はファストフードのお店が増えている。日本の工芸品を扱う店というのは、浅草のような街でも今やほんとに少ないんです。

 

かろうじて、印傳を作っている浅草前川印傳さんとか、銀器屋さんとか、箸屋さんとか、それぐらいですかね。なので、うちのECで扱っている商品を並べていくだけでも、結構すごい店ができるだろうなとは思いました。

 

まず伝統工芸品を扱うとなれば、店の内装もこだわりを持ってやりたかったというのがあります。

 

それで最初は古民家を探してたんです。浅草にも古民家、あるにはあるんですけど、さすがに裏千家の人たちが使っていたりで、借りれる物件がないんですね。

 

じゃあどうしようかと、いろいろ探してたときに、たまたま私の親会社の方から紹介されたのが、(山翠舎代表の)山上さんだったんです。その時に古木を扱っていることを知って、これはちょっと引き寄せたなと。ホームページを見てみたら、食器屋さんの施工事例もあって、まさにこのイメージだなと。

 

多分、山上さんと初めてお会いして2週間以内に広尾のオフィスにお話を聞きに行ったと思います。物件が(2023年の)7月に決まって、内装を頼んだのは8月の頭ぐらいでしたね。

 

 

そして9月14日にオープンしました。

 

 

おかげさまで、店に入ってくる人、入ってくる人、みんな「内装すごいね」って仰いますよ。この古木の大黒柱なんか、みんな触っていきますからね。

 

やっぱり店の内装にこだわりを持ってやると、それを見て入ってくる方っていうのは多い。外から見た内装が店のキャッチになるんです。「ビューティフル」と言って、内装に惹かれお客様が入ってくる。さらに中に置いてある品もいい感じだから、今、外国の方の口コミでどんどん広がっています。写真が撮りたくなる内装だから、お客様が店内の様子を撮ってアップしてくれるんです。

 

やっぱり大黒柱。柱や梁の組み合わせがいいですね。

 

あとは、余った端材。実はこれ(ディスプレイの台)、内装で余った端材を「捨てないで置いてってください」って山翠舎さんに言って、それを私が並べただけ。

 

 

実際、私も古木のとりこになったわけです(笑)

 

目標としては、まず浅草でナンバーワンのお土産屋にしていくこと。検索キーワードでは、souvenir(お土産)、craft(クラフト)、あとgift(ギフト)。この3つのワードで今トップを取ろうとしていて、craftは台東区の公共機関を抜いて1位なんですね。

 

あと、世界にもっと知ってもらいたいっていうことで、2025年の春ぐらいから、博報堂さんの子会社さんと日本の伝統工芸品を「Nihon Miyabi」の名前で、ドバイのモールで販売しようと動いてます。

 

 

最初はこんなになるとは思ってなかったんですけど、検索でもあっという間に浮上してきて、これは内装のおかげだと思うんです。やっぱり空間も素敵って思ってもらわないと、また来ようという気持ちにはならないと思うんですよね。