東京 大井町にあるスペイン料理屋 alfredo(アルフレッド)。2023年10月にオープンした、こぢんまりとしたお店です。オーナーの浅井悠紀さんは、イタリア料理が一大ブームを迎えた2000年代初頭に、なぜかまだ物珍しかったスペイン料理の世界に惹かれ、料理人の道を歩んできました。スペイン料理への思い、お店への思いなど、お話を伺ってきました。
(2025年1月27日 取材)
— alfredoはどんな特徴を持ったお店ですか?
スペイン料理に特化しているようで、日本の食材を使って、ちょっと親しみがある感じにしています。メニューも“ザ・スペイン料理”というよりは、少し崩して、分かりやすいところも入れてます。でも現地のもののメニューを取り入れた、本格的なスペイン料理もあったりで。
— 具体的には、どう崩しつつ、どこを本格的に?
例えばアヒージョのようなわかりやすいメニューもある一方で、カネロニのような日本ではそんなに知られていない現地のメニューを取り入れたり。ほかにも、パーツ的にはスペイン料理を使いながら、メニュー的にはサラダ仕立てにしたり。
— ちなみに浅井さんはどんなきっかけで料理業界に入られたのですか?
もともと料理作るの好きだったんです。
— 子どものころから?
小学生のころから普通にチャーハンとか焼きそばとかを作ってましたね。お昼、親父と二人だったりするときに作ったり。弟に料理を作ってあげたり。
— それは何か必要に迫られてではなく、楽しかったわけですか?
そうですね。作るのが好きだったんでしょうね。
それでいざ進路を決めるってなったときに、調理師かなと。高校卒業して、調理学校に入って。
— そこからどんな流れに?
調理学校を出ると皆さん就職するんですけど、僕はその時マクドナルドでバイトしてて、「マネージャーにならないか」という話をいただいたんです。外食チェーンの中でも大きいところ。その仕組みを知りたいなと思ったので、それでマネージャーとして一年ぐらいマクドナルドで働いたんです。季節メニューはこうするとか、オペレーションをこうまわすとか。まあそういうことを、学んだってほどじゃないですけど、後々思うと、その経験がいい勉強になりましたね。
— そのあとは?
そこからフレンチレストランに行ったんですけど、フレンチは僕にはどうも合わなくて…。
それで次はイタリアンをやってみたんです。イタリアンはしっくりきたんですけど、そこのお店は一から作るお店じゃなかったから、せっかくなら「出汁から作りたいな」っていう気持ちになったんです。
それで(郷里の埼玉から)都内へ出てきたんですけど、当時はすごいイタリアンブームだったころで。
— 何年のころですか?
日韓のワールドカップのあとだったので、2003年か2004年ごろですかね。
一から作れるイタリアンのお店で働こう。そう思って都内へ出てきたんですけど、ちょっとほかの選択肢もないかなと思って求人誌を開いたら、スペイン料理が目に入ったんです。やったことないし見たことないし、面白そうだなと思って、
— それでスペイン料理の道へ?
結局、スペイン料理を選んだんです。
— 22、23歳のころ?
はい。銀座にある「エスペロ」っていう老舗のスペイン料理店に。そこで6年働いたんです。
そのあと、先輩に誘われて別のお店で少しだけ働いたんですけど、そこは東日本大震災もあって1ヶ月で辞めちゃったんです。
それで次に入ったのが、
— ふたたびスペイン料理?
はい、スペイン料理でした。
ところが僕が入って2〜3ヶ月したころに、シェフが辞めて独立しちゃったんです。その店は銀座と恵比寿に2店舗あったんですけど、入って数ヶ月で僕が恵比寿店のシェフをやることになってしまって。そしたら今度は銀座店のシェフもやめるってなって。結局自分が銀座店のシェフをやりながら恵比寿店の面倒も見る、料理長というかたちになって。そこの会社には10年くらいいましたね。
そのあとは、先輩に誘われてお店の立ち上げを手伝ったり。まあそんな風で、店長とか、料理長とか、店の立ち上げとか、いろいろ経験した結果、やっぱり「自分のお店じゃないと思い通りにはできないな」って思って、独立することにしたんですね。
— 独立したのが?
去年(2023年)の10月です、このお店をオープンさせたのが。
— フレンチやイタリアンも経験しながら、結果的にスペイン料理を続けてこられた理由は何かあったのですか?
そうですね、ちょうどスペイン料理の変革の時だったっていうのはありますね。
それまでのスペイン料理は昔ながらの郷土料理が主流だったんですけど、そこにフェラン・アドリアっていう天才シェフが現れて、分子料理っていう考えでスペイン料理を変えてしまったんですね。例えばオムレツでも、卵黄と卵白を分けて作ったり、ジャガイモを泡状にしたり。その影響があって、スペイン料理っていうものがちょうど面白くなっていった時期と重なったんです。
あとは、実際にスペインへ行ったときに、当たり前なんですけど、自分が日本でやってきたスペイン料理と似てるのがわかって、それでまた面白くなったんです。
— 現地に答え合わせをしに行ったわけですね?
そうです。それでなんだかんだで、ずっとやらせていただいている感じですかね。自分でもよく飽きずにやってるなって思います。
— ちなみに、大井町に店を開いたのは理由があるんですか?
自分が品川区に住んでいるので、自分の住んでいる地域に少しでも何かできたらなと思って、もともと品川区で物件を探してたんです。大井町のこの場所に決まったのは、たまたまです。
— 山翠舎に内装を依頼しようと思ったのはどういった経緯で?
ネットで内装業者さんを探してたんですけど、山翠舎さんを見つけたとき、温故知新的な雰囲気があっていいなと思ったんですね。
山翠舎さんの場合、古木を使って新しいものを作ったりするわけですけど、料理も基本はやっぱり温故知新だと僕は思っているんです。何十年、何百年と受け継がれてきた郷土料理をベースにしながら、そこにアレンジを加えて、新しいお皿やデザインで、盛り付けをしていく。結局はそういう基礎や歴史があってこその料理なので。
そういう考えがマッチしそうだなと思って、お話しを伺いに行ったら、皆さんアットホームで、そのままトントン拍子で決まりました。
— 実際出来上がって、どんな感想を持たれましたか?
そうですね。やっぱり上手だなと思いましたね。上がってきたデザインを、工事をしながら現場でアジャストしていくような感じでした。
— 特に気に入っているポイントはありますか?
やっぱりこの長い古木の梁ですね。
— この梁は浅井さん自ら大町の倉庫まで行って選ばれた?
古木が何千本とある倉庫なので、全部を見たわけじゃないんですけど、ある程度選定しておいてくれたもののなかから自分で選びました。
— ほかにこだわった場所はありますか?
この電球を吊り下げている木です。これも長野にあった楓の木を吊るしてもらったんですけど、実際スペインでこういうのを見たんですよ。それで「同じようなことをできないですか?」って言ったら、何本か用意してくれて、こんな感じに仕上げてくれたんです。
— ドライフラワーを吊るしているのもいいですよね。
これ、ドライフラワーとして買ったものではなくて、いただいたお花をそのまま活用したんです。料理人だからなのかわからないですけど、捨てるのがもったいないと思って、こうやって使えたらなぁと。
— いい使い方ですね。
この木の感じはすごい気に入ってますね。
— オープンして3ヶ月ちょっとが過ぎましたが、どうですか?
まだなんとも言えないですけど、常連さんが結構いらしてくれて。ほとんどツテもなく始めたんですけど、
— 口コミで少しずつ広がって?
そうですね。上のマンションの方とかも来てくれてますね。
— これからのビジョンはありますか?
そんなに大きい店ではないので、何よりも地域に根付いた店にしていきたいなと。
区や町の催しものも手伝っていきたいなと思いますし、この地域で新しい繋がりを作っていきたいなと。
— 今日はありがとうございました。