東京・人形町にあるフレンチビストロ「EN FACE」。フランス語で「向き合って」を意味する通り、オーナーシェフとお客さんが大きな一枚テーブルを挟んで向き合い、料理と会話を楽しむお店です。
2019年9月のオープン以来、評判は口コミで広がり、数ヶ月後には連日満席、なかなか予約のとれない人気店となりました。
オープンから9ヶ月後の2020年6月、オーナーシェフの亀山知彦さんにお話を伺ってきました。
料理の素晴らしさも去ることながら、亀山さんはどんなお店をやりたくて、それをどういう店舗を設計することで表現したのか? 「EN FACE」ができるまでを語ってもらいました。
(2020年6月10日 取材)
一枚テーブルにしようっていう着想はどこから始まったんですか?
自分がフランスのパリで5年働いていたとき、とあるビストロで「ターブルドット」っていうんですけど、
10席くらいある長いテーブルがあったんですね。
そのお店、日本みたいに2名様、4名様席もあるんですけど、フランス人はなぜかみんな大きいテーブルに座りたがるんですよ。
面白いですね。
それはなぜかっていったら、もちろん食事も楽しみにくるんですけど、隣のお客様と会話やディスカッションをして、お店の雰囲気全体を楽しむんです。
だから個々に分けられたテーブルよりも、こういう大きなテーブルでみんな食事をしたがる。
そういうのを見てきて、自分も共感したんです。
もう一つの理由は、私が一人でお店をやるっていう思いが当初からあったので、オペレーション面ですね。作った料理をお客様にお出しする、一枚テーブルだとそれがダイレクトにできるので。
なるほど、とても理にかなってますね。
ところで亀山さんって、どういうきっかけで料理人になって、ここまでのキャリアを積まれてきたんですか?
コックになろうと思ったきっかけは、自分の母親があまり料理が得意じゃなくて。
それで休みの日は自分が料理をつくって家族に振る舞おうかなと思って、家のキッチンで始めたのが最初で。
それは何歳の頃の話ですか?
いや、もう、小学校低学年ぐらいのころ。
そんな早くから?
はい。そしたら、家族がすごく喜んでくれて。それが嬉しかったんです。もしこれを自分の仕事にできるならそうしたいなって思うようになって。
で、将来は自分でお店をやろうと思っていたので。それには数字のこと、簿記を勉強できたらいいなと思って高校は商業科に入ったんです。そこから高校を卒業して、都内の調理師学校へ。
私は栃木の佐野市っていうところの出身なんですけど、ラーメンが有名な街なんです。
佐野ラーメンですね。
はい。それで、当時佐野にはイタリアンのお店なら少しはあったんですけどフレンチがなくて。
たいていフレンチのお店って、ハレの日に行くようなお店じゃないですか。
それで、その当時、18歳か19歳のころですけど、テレビ番組の「料理の鉄人」が流行っていたころで、フレンチの料理人の姿っていうのをテレビで見るわけです。
それを見て、自分の地元にはないそういう未知の世界で料理人をやってみたいなと思うようになって。
でも、地元にはフレンチのお店がないので、その道に進むのなら東京に就職しないといけない。
じゃあ東京の調理師学校へ行こうと。それで一年間、栃木から東京の調理師学校へ通って。
栃木から通いで行ったんですか?
はい。通って。
東京の調理師学校を卒業すれば東京で就職先を斡旋してもらえるので、それで都内のフレンチを紹介してもらって、そこで8年、基礎から、ずっと。
一つのお店で8年修行されたんですか?
はい。で、当時そこの料理長の方がフランスに行かれていた方だったので、いろいろ話を聞いていると、やっぱりこの道でやっていくんであれば向こうで修行しないといけないなと思いまして。
今のご時世、料理も勉強する気になればネットや雑誌でいくらでもできるんですけど。
やっぱり向こうの風土、生活、そこで感じることが絶対あるんだろうなっていうことで、27歳のときですね、フランスへ行って。そこから5年間。
けっこう長期間ですよね。
はい。パリだけだったんですけど。
パリにいると、いろんな地方出身のシェフがパリに集まってくるので、いろんな地方のフランス料理も効率的に勉強できたんです。
バスク地方出身のシェフの下で働いてみたり、南仏出身のシェフの下について南仏料理も勉強させてもらったりしました。ほかにもアルザス料理とか。
レストランっていうよりビストロですね。日本でいう居酒屋、定食屋。
つまりハレの日だけじゃなくて、フランス人が本当に普段から好んで食べてるような料理を勉強したいなと思って、フランスではそういう店ばかり選んで修行してましたね。
ある時、働いていたビストロの店が東京に看板を貸して支店をつくるっていう話があって、
「日本にもし帰るつもりがあるんだったら、オープニングを手伝ってくれないか」っていう話をされたんです。
そのお店のシェフにはよくしてもらっていたので、これもいいきっかけだなって思って、それでようやく帰国したんです。
その新しくできた日本の支店で2年ぐらいですかね、働いて。そのあと都内のフレンチビストロのお店で何軒か料理長をやって。
そして今、ここ人形町で自分のお店を独立開業させたっていう経緯ですね。
最初から独立前提で料理の世界に入って、そこからずっと積み重ねて来られたんですね。
そうですね。
最終的には自分のお店を作って自分のやりたい料理をやりたいなってずっと思ってきましたので。
まあでも当たり前なんですが、はじめのころは自分のやりたい料理がなんなのかとか、わからなかったです。
やっぱりフランスに行ったことでいろいろとカルチャーショックを受けてからですね。
できるだけ現地の味をそのまま、このお店で表現したいと思ってやっています。
日本人に合わせたフレンチじゃなくて、できるだけ私がフランスで作って食べて感じた料理観をこのお店ではやりたいなって。
オープンから9ヶ月ほど経ちましたけど、どうですか?
ありがたいことに、地元の方がすごく多く来てくれてます。
最初の一ヶ月、二ヶ月はもちろん知名度もなかったので静かな日もありましたけど、だんだんと口コミで。
このお店は私一人でやってるので、媒体にも情報を一切掲載していなくて。電話番号も載せていなくて。
調べてみたんですけど、グーグルの情報もないですよね?
ないですね。
電話番号を載せたとして、かかってきたとしても、私一人でやっているお店なので営業中に電話が取れないんです。
電話に出られないのなら、逆に電話番号を掲載するのも失礼だなと思って、それで故意に載せてないんです。
コロナの影響はどうでしたか?
コロナは、3月いっぱいまではうちは影響がなかったんですね。
ただ、3月の最終週に都知事による外出自粛要請の発表があって、予約で満席だったんですけど、あの週だけは全部キャンセルになりました。
オープンして以来、ほぼほぼ満席だったんですけど、その週の日曜日はさすがにお客さん、来なかったですね。
それで4月に入ってからは、お客様の間隔も一席あけて、一日3組くらいしかとらずにやってるんですけど。
集客の絶対数が減っているので売上が下がるのはもちろんしょうがいないことなんですけど。
それでも、これまでお店の前を通りながら「いつか来たいと思いながらいつも満席で入れなかった」という新しい地元の方が来てくれるケースが増えて、そういういい面もありました。
内装施工で亀山さんがこだわったポイントってどんなところですか?
まず第一は、私一人で回すので、導線ですね。
一本のラインだけで済むようにしてあるんです。料理をここ(厨房)でつくって、その場からテーブル越しにお客様に渡せますし、お客様がお帰りになるときは、ここ(厨房から入り口へとまっすぐに続く導線)を通っていけばすぐ、お見送りができる。
狭い空間でも無理なく自分がちゃんと動けるようにしてます。
それと、お客様の居心地ですね。
薄利多売でお客様を回転させるのではなくて、落ち着いたひと時と空間を楽しんでもらいたいっていうのがあったので。
例えば、私はこうして厨房に立ってますけど、お客様が座った状態でも私と目線が同じ高さで合うように、厨房の床の高さを下げていたり。
なおかつ、カウンターだけのお店ってハイチェアーハイカウンターで、料理人の手元がみえないよう付け台がある、っていうのが多いんですけど。お客様にちゃんと足を地面につけて食事を楽しんでもらえるような椅子とテーブルの高さにして、付け台はなくしてテーブルをフラットにして、目の前で料理を作るライブ感が損なわれないようにしたりとか。
あとは、あんまり目新しいものを置かないっていうか。
このミシュランの看板とかエッフェル塔が建つ前のパリ市内の地図とか、私がフランス時代にブロカント(古道具市)で買ったアンティークなものをおいたりして。昔からあったような、落ち着ける雰囲気にしたくて。
山翠舎さんの古木がすごくいいなあって思っていたのも同じ理由で、それが山翠舎さんに内装をお願いした理由の一つでもあるんですけど。
オープンにあたって、亀山さんの中でかなりかっちり世界観があったんですね。
そうですね。お客様からも「雰囲気のいいお店ですね」って言われますし、「いつからやってるんですか?」ってすごい言われるんです。
「去年の9月からです」って言うと、「えぇー!」って。
これからどういうふうにお店をやっていきたいか、将来のイメージはありますか?
自分でお店を持つまでは、キッチンには何人か料理人がいて、サービスさんがいて、っていうところでやってたんです。
そうなると、サービスさんに「これはこういう料理だから、お客様に伝えてね」って言っても、正直、2割とか3割くらいしか伝わらない。やっぱりサービスさんが料理を作っているわけではないので。厨房スタッフに料理を持っていってもらっても、同じで。
この料理をどういう思いで作ったかっていうのは、その料理を考えたわけではないスタッフが説明しても、伝わらないんです。それがすごいジレンマだったんです。
やっぱりフランスの街場で気軽に食べているようなお料理は、それを経験して、それを考えて、それを作った当人の私しかわからないですから、その料理は私しか伝えられないって思ったんですね。
なので今後は多店舗化してとかフランチャイズでとかいう考えはあんまりなくて、今みたいになるべく自分一人でやって、お客様にダイレクトに伝えられるお店を続けたいなって思ってます。
今日はありがとうございました。