東京都江東区、森下駅から数分の場所にある「ろぼう」。寿司や天ぷらといった魚料理中心に、お昼はランチ、夜は居酒屋として楽しめるお店です。

 

独立開業したのは、茨城県つくば出身の料理人 中山邦彦さん。30歳までには独立し自分の店を持とう、そして自分の店を持つからには魚をやろうと、早くから決めていた中山さん。

オープンから1ヶ月ほどが過ぎた2024年1月、お店を訪ね、独立までの経緯などお話を伺ってきました。

(2024年1月22日 取材)


 

 

お寿司と天ぷら、魚介のお店になります。

 

日替わりメニューに、おすすめの一品メニュー、アテ巻き。関西ではお酒のつまみのことをアテって言ったりするんですけど、そのアテを巻いた巻き寿司ですね。

他にはお刺身、煮魚、焼き魚、天ぷら、一品料理。そんな感じでやらせてもらってます。

 

そうですね。全国のいろんなところの地酒を仕入れてますけど、僕、地元が茨城なので、茨城のお酒は何点か置いてる感じです。わりとリーズナブルなんじゃないかなと思います。

 

 

路傍、つまり道端っていう意味なんですけど、ゆっくり、気を遣わないで、ふらっと立ち寄ってもらえるようなお店にしたいなと。

 

ちなみにロゴなんですけど、暖簾に「ろぼう」の「ろ」の字を、赤色の漢字(路)でつけているんですね。うちの祖父の名前が路之助で、そこから一字もらってるんです。

 

経歴で言うと、20歳の時に調理の専門学校を出まして、そこから5年ぐらい、和食のファミレスで仕事をしてたんです。「ばんどう太郎」っていう、茨城に本社があって北関東中心に展開しているファミレスなんですけど。

 

僕、そこで高校生の時からバイトしてたんです。で、「どうやらここの会社は社員がそんなに多くないな、そのうち店長もやらせてもらえそうだし、経験が積めるかな」と思ったんです。

 

それで5年間お世話になって。それこそ新店立ち上げも経験しましたし、最後の一年半ぐらいは店長としてもやらせてもらったんです。

 

仕入れだったり、店舗の管理だったり、掃除だったり、売上管理だったり、数字の部分はすごい勉強になりましたね。でも料理の部分は、やはりどうしてもファミレスなので、もうちょっとやりたいなって思ったんです。それで次は都内の飲食店に移りまして。

 

「KINKA sushi bar」っていうカナダ発の逆輸入寿司。

海外で何店舗も出されていて、日本に逆輸入されたお寿司屋さんで。そこで魚、握りを少し覚えました。都内の客層は地方とはやっぱり違うので、そういう場所でウケるものだったり、価格帯だったりお酒だったりの勉強をしながら、そこで一年半ぐらいですかね。で、もうちょっと魚をやりたいなと思いまして、

 

もともと、魚系の居酒屋やお寿司屋を自分の店としてやりたいなと思ってたんですよ。

 

30歳までには独立したいなと漠然と思ってたので、そこから逆算すると、「茨城を出た時が25歳。そこから30歳まではあと5年。その5年間で何ができるかな」っていうところで、まずは都内の渋谷、忙しいお店でやってみたら一つ勉強になるんじゃないかということで「KINKA sushi bar」でやらせてもらったんです。

 

でも、そのお店は取り扱ってる魚の種類がそんなに多くないなと。炙り寿司だったり、海外で受けてる日本食。渋谷や六本木でウケるようなお寿司のかたちは多少は勉強できたんですけど、もうちょっと魚自体の勉強を幅広くやりたいと思ったんです。

 

穴子、アンコウ、ハモを捌くような店ではなかったので、もうちょっといろんな種類の魚が触れるお店を探したんです。それで移ったのが、そこも渋谷だったんですけど、魚魚権(ととげん)っていう居酒屋さん。魚メインのお店です。それこそアンコウだったりハモだったり、いろいろ触らせてもらって。

 

そこで一年半ほどやらせてもらって、魚料理を商品として売るぐらいの技術は持てたかなと思ったのと、そこのタイミングで資金もある程度目標にしていた額が貯まったので、山翠舎さんに内装とかのご相談をし、(2023年)12月に開業できたって言う感じですかね。

 

漠然と魚が好きだったので、

 

 

そうです。子どもの時から肉より魚が好きで。

 

小学校の卒業文集に「今行きたいところ」を書く欄があったんですけど、みんながアメリカとかフランスとか書いているなか、なぜか僕だけ、「海鮮料理が食べれる店」って書いてるんです(笑)。

 

あとは料理の専門学校に入って、魚を触ってるときに面白いなと思ったのが始まりだった気がします。

魚の種類によって包丁の入れ方が違うというのもそうですけど、単純に包丁触りというか、魚を捌くこと自体を面白いと思ったんです。綺麗に捌けた時とか、お造りとして見栄え良くできた時とか、そこに満足感を覚える感じで。

 

他の料理より、刺身、寿司、天ぷらを作るときの満足感が大きかったですし、食べる側としても好きだったので、それを商売にできたらいいなっていうのが、もともとのところにありますね。

 

きっかけは独立しようと思った時に、ビール会社さんに最初に相談させてもらったんです。そのビール会社さんに飲食物件部門みたいなものがあったので。

その時に、「物件は紹介できるけど、内装施工まではわからないので、そこは自分で探して欲しい」って言われて、「そういえば山翠舎さんだと、OASISという物件探しを手伝ってくれるサービスがあるし、内装自体も古木を使ってかっこいい施工をしてくれますよ」っていう話を聞いたんです。そこからですかね。

 

それで山翠舎さんのホームページを見たら、「ああ、お店かっこいいなあ」と思って。

 

物件探しは最初、自分で探してたんです。一件目は渋谷、二件目は蔵前の物件とあたってみたんですけど、どっちも資金的にちょっと厳しくて。

それで、山翠舎さんのOASISに相談したら、予算的に合うところで「ここの物件だったらいけるんじゃないか」っていうことでこの物件をご紹介してもらっていう流れですかね。

 

土地勘はまったくない場所だったんですけど、物件自体を見た時に、いいなあと。

 

広さ的にも、頑張ればワンオペできなくはない。お店のカタチもほとんどいじる必要がない。

 

独立したら、自分一人でお店をやりたいっていう思いが先行していたので、場所にはそんなにこだわりはなかったんですよ。

 

ただ、当初はワインビネガーでシャリを作って、お酢もちょっと洋風な感じでやろうかなと思ってたんです。渋谷ならそれもいいけど、森下では違うなということで、そこは変えましたね。

 

もともとの内装は暗めだったんですけど、山翠舎さんの施工で、ほんと、温かみのある落ち着ける店になったなあって思います。ずいぶん明るくなった感じです。

 

「お座敷を作りたい」というので山翠舎さんにはお願いしてたんですけど、それも綺麗に作っていただいて。

昨夜はお子様連れのお客様が2組いらっしゃって、お座敷で子どもさんをみながらゆっくりしてもらえましたし。お座敷目当てでお客さんが来てくれたりとかもありますね。

 

一月ちょっとではありますけど、何度も来店していただいてるお客様が1組2組とかではなく、まあまあいてくれてますので、そういう人たちがどんどん増えてくれると嬉しいですね。

月並みですけど、子どもさんたちがいるご家族も、一人暮らしの方も、さっと寄って、ゆっくりしてくれるような地域の場所になったらいいなって思ってます。