ベトナムフレンチのお店として、2020年1月7日にオープンした「ネムクリュ」。店名は、ベトナム語で「春巻き」を意味する「ネム」と、フランス語で「生(なま)」を意味する「クリュ」を掛け合わせたもの。
この店名が象徴するように、オーナーシェフの柿本将浩さんがお店のテーマの一つに挙げているのが「ミックスすること」です。まるで違う2つの「もの・文化・食材・素材」などをミックスすることで、新しい可能性を引き出す。
この「ミックス」をキーワードに、独立までの経緯や料理人としての考え方、そのほかあれこれの話を、柿本さんに伺がってきました。(2020年3月2日 取材)
— 柿本さんが料理の道に入ったのはいつごろですか?
僕、調理師学校とかは行ってなくて、大学を出て、最初に入社したところがケーキ屋さんだったんです。
大学も料理とぜんぜん関係なくて、文学部の英文科なんですよ。
— 面白いですね。
とりあえず僕、サラリーマンはできないなあと思って。
そのころ、サラリーマンって酒飲んで営業してなんぼでしょ、っていう風潮がまだ社会にあって、それは僕、ちょっと無理だなあと(笑)。で、ちょうどそのころ飲食店でアルバイトしてたんですけど、厨房で作る仕事は自分に向いてるなあと思ってたんです。
— それでケーキの会社に?
はい。そこでおばちゃんたちと一緒にクッキーを袋に詰める仕事みたいなところから始まって。最初は、料理よりケーキの方が創作的な気がして、それでケーキ屋の会社に入ったんです。で、2年ぐらいそこでやりまして。
そこ、けっこう大きい会社で完全に分業制なんですよ。だから、一日中粉を運んでますとか、卵割ってます、とか。
それはちょっと辛いなあと思って、その会社は辞めて、今度は料理の方をやってみようってなって。
— そうだったんですね。
それで次に入ったところがエスニック料理をしているレストランで。
ベトナムやタイの料理をやりながら、当時のシェフが中華の方だったので中華料理も教えてもらったりしたんです。
そうやっていろいろな料理をやってるうちに、他の料理もやってみたいなと思うようになって、次、イタリアンへ行って、フレンチに行って、そうやってしばらくやってて。
で、たまたま知り合いにお鮨屋さんの人がいて、その人のお父さんが急に亡くなられて「店を継ぐことになったから手伝ってくれ」って言われたりして。で、鮨屋行ったりとか。
ほかにも友だちから「ちょっと手伝ってくれ」って呼ばれてカレー屋行ったりとか。カフェ行ったりとか。
なんだかんだ、ほぼ全ジャンルやったんですよ。
— すごい!ジャンルが違っても応用は効くものなんですか?
応用は効くと思います。
あんまりそうやっていろんなジャンルの料理をやる人、多くないんですけどね。
料理人の世界って、例えば鮨だったら鮨一筋、そういう人のほうがいいとされてる傾向があるんですよ。
でも僕はいろんなものをやったほうが経験になっていいんじゃないかな
と個人的には思うんですけど。
実際、そういう料理人はあんまりいなくて、むしろ低くみられる傾向があるんですね。
— うーん…そうなんですね。
最終的には丸の内にあった会員制クラブみたいなところで働いて。
そこはメニューがなくて、お客さんがあらかじめ予約入れてくれて、「幾らくらいでこんな感じの料理を食べたい」っていう要望を受けて作るっていうところだったので、それまでにいろんな料理をやってきた経験がすごく活かせたんですね。
— その会員制クラブは何料理とか決まってない、ノンジャンルだってことですか?
決まってなかったんですよ。オーダーに応じて作るんです。
例えば今回はベルギー大使館の仕事で、ベルギー料理でパーティーをします、とか。
だからそこではすごくいろいろ学びましたね。自分が意図したっていうより、そうした状況を経験したことで、結果、いろんな料理をやってきたかたちになって。
ところが、「将来は自分でお店をやりたい」ってなると、さて、どうしようかなと思って。
「なんでもできます」だと、ちょっと怪しいじゃないですか?
— はい(笑)
で、どうしようかな…と思ってたんですけど。
1年前にたまたまベトナム旅行に行きまして。もともとベトナムってフランス領だったので、少し西洋風な建物でちょっとフレンチをミックスしたような料理を出すお店があったんですね。
あっ、こういうの、いいなあと思って。しかも、日本にあるベトナム料理ってちょっと屋台風なものばかりで、
こういうフレンチとミックスしたベトナム料理ってないなあと。
— それで、ベトナムフレンチなんですね。
はい。
ただ自分のテーマとしては、ベトナムにすごくこだわりがあってっていうわけではなくて、
ベトナムとフランスみたいに、「なにかをミックスする」ってことが核なんです。
あと、これはたまたまビルがコンクリート打ちっぱなしだったおかげですけど、
山翠舎さんの木の内装にコンクリートの壁っていう、これも違う素材がミックスする感じになってて、いいなあと思って。
統一するっていうよりもミックスする。そういうのがやりたいことですね。
— いつから独立の準備を始められましたか?
どこからを準備って言っていいのかわからないですけど、実際物件を探そうかなあと思ったのはもう7年ぐらい前からですね。
ただ会社にいるとなかなか身動きがとれなかったり、せっかく物件が見つかっても、今は大事な仕事があるから辞められないなあと。
ずっとそれの繰り返しで、なかなか難しいなあと。結局、最終的には会社を辞めて、1年前にアルバイトだけに切り替えて動き始めたっていうのが事実ですね。
— なんで祖師ヶ谷大蔵にしたんですか?
まず僕、住んでるんですよ、この街に。どちらにしろ家から近いところがいいなあと思って。
実家は千葉県なんですけど、初めて大学で東京に出てきて、それからずっとこのあたりに住んでるんですよ。
普段から生活してる、知ってる街がいいなあと思って物件を探したら、たまたまここが見つかったっていうことです。
— 山翠舎に内装オーダーをした経緯は?
料理通信の独立特集みたいな記事で山翠舎さんを見たのがもともとのきっかけです。作ってるお店も素敵だし、木の風合いとか雰囲気もいいなあと思って、話を聞いてみようと思って伺ったのが最初ですね。
あと、山翠舎さんが飲食店の内装をたくさん作られていたっていうのがポイントですかね。
飲食店の実績がない会社だと、デザインはかっこいいけど使いづらい、ってなるパターンもけっこうあって。
— こだわったポイントは?
カウンターのみのお店で、厨房で作ってるところを見えるようにしたっていうところですかね。
僕自身が他のお店へ行ったとき、料理を待ってる間に作ってるのを見るのが好きなんです。
奥の見えないところでバイトの子たちが作って出してくるんじゃなくて、
ちゃんとした料理人がちゃんと作ってるところっていうのは、それこそ個人店の良さで、見せる価値があるものだと思うんですよ。
なのであえて見えるように作ってもらいましたね。
— このお店を、もしくは自分の人生だったりを、これからどう作っていきたいですか?
とりあえずまだ始めたばかりなのでなんとも言えないですけど、長く続けられたらいいかなあと。
20年前、僕がはじめて就職したころって、
例えばフランスに修行へ行って帰ってきたシェフが、当時はあんまり知られていない、「こんなすごいものがあるんだよ」っていうのを広めた、そういう時代だったと思うんです。
それはそれですごいことだと思うんですけど、これから僕らの世代は同じことをやっても意味がないと思うんです。
これだけ情報がある時代だと、「現地にこんなものがありますよ」っていうやり方ではなく、
新しいものを作っていかなきゃいけないなと僕は思ってて。
なので、長く続けていくためにも常に新しいチャレンジをしていかなきゃいけないんじゃないかなって思ってやってます。
— 今日はありがとうございました。