小谷村にしかない地方創生のかたち──「山翠舎 時を重ねた古木をめぐる話」第5回

出典:富井雄太郎(millegraph)”小谷村にしかない地方創生のかたち──「山翠舎 時を重ねた古木をめぐる話」第5回”. note. 2024年12月2日 17:46 (URL:https://note.com/_millegraph/n/nefa5aa5ba6d6?magazine_key=mabb9618fa6bd)(最終閲覧日:2024年1月24日)

 


 

長野県を中心に「古木」の買取りから保管・販売、設計・施工を手掛け、常時5,000本という日本最大規模のストックをもつ山翠舎。
シリーズ「山翠舎 時を重ねた古木をめぐる話」では、その古木をめぐる仕事を紹介しています。
第5回の舞台は、長野県の小谷村です。人口2,000人ほどの小さな村の公共的な建築に、山翠舎は15年以上関わっています。そこには、地元の現実を見つめるキーマンや手の技をもった人々とのコラボレーションがありました。
写真は第三回ふげん社写真賞グランプリを受賞し、写真集『空き地は海に背を向けている』(ふげん社、2024年)が出版された写真家・浦部裕紀による撮り下ろし。

 


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道の駅小谷。国道148号線沿いに建つ。手前は姫川。

 

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道の駅小谷のレストランは2009年に改修、物販スペースは2020年に改修され、平日でも多くのお客さんが訪れていた。

 

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日本有数の湿原である栂池自然園。標高約1,900m、自然の美しさに息を呑む。

 

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栂池自然園の入口に建つ栂池ビジターセンター。2017年にリニューアルオープン。

時代の変化に対応した改修──道の駅小谷のレストラン

長野県の最北西、新潟県との県境に位置する小谷村。南側には、1998年の長野オリンピックの会場のひとつである八方尾根スキー場をはじめ、国際的な観光地として名高い白馬村が接する。
小谷村は、白馬村よりもさらに山深く、平地が限られている印象だ。その村で、株式会社道の駅おたり、株式会社おたり振興公社というふたつの民間企業の代表を務める幾田美彦氏を訪ねた。幾田氏は、大阪の出身ながら21歳のときに小谷村へ移住、38歳までスキーのインストラクターや登山ガイドなどによって生計を立てていたという特異な経歴をもつキーパーソンである。
小谷村の仕事に携わるようになった契機は、道の駅小谷の立ち上げだった。幾田氏は、お世話になった小谷村への恩返しとして初めて定職に就き、1999年に無事開業を迎えた。そして10年後の2009年には同道の駅を第三セクターの運営から株式会社の経営に切り替え、レストランの改修を企画した。

改修時に向き合ったのは、人口減少という重い社会課題であり、時代性を捉えたリニューアルだった。
「道の駅ができた頃はまだ時代に勢いがありました。スキー客も多かった。でも、人口が減り始めて、『いかに終わらせるか』を考えなければならなかった。社員にお給料を払いながら、事業をスマートにしていくことがミッションでした。そこで、質の高いものを提供し、お客様が少しの緊張を感じてもらえるような内装に変えようと思いました」と、幾田氏はその戦略を語る。
メニューは、小谷村産のコシヒカリをはじめとした地域の食材を活かし、丁寧につくられている一方で、基本的なシステムはフードコートのようなセルフサービスだ。良いものを提供しつつ、従業員の負担を減らしている。お客さんの納得を得るために要になったのが、厳かな雰囲気をつくる古木であり、カウンターに備えられた見せるかまどだ。木材の力強さ、かまどの火、漂う蒸気の香りなどが食に向き合う人の気持ちを変えている。
山翠舎との長い関係はこのレストランの改修から始まった。

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組み上げられた古木。

 

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かまどで炊かれ、店内に香りを放つ小谷村のお米。

次世代のためのホスピタリティ──栂池ビジターセンター 

標高約1,900m、小谷村にある栂池自然園は日本有数の湿原である。栂池高原スキー場のゴンドラリフトとつがいけロープウェイを乗り継ぐことで、登山経験が少ない人でもカジュアルにアクセスできる。園内には一周約5.5kmの歩きやすい木道が整備されていて、白馬三山や高原植物をはじめとした美しい自然を間近に感じ、澄み切った空気と静けさを味わえる。その入口に建つのが栂池ビジターセンターで、2017年にリニューアルされた。企画は同じく幾田氏で、山翠舎は設計・施工に関わった。
リニューアル前の内部は、暗く、壁には解説パネルや植物の写真などとともに、飲食禁止の貼り紙がいたるところで目についたそうだ。子どもにとっては退屈で、変わりやすい山の天気に「もう帰りたい」との声も目立っていた。幾田氏は、自然への親しみを感じてもらう場所、ゲストを迎える施設でなければならないと考え、「雨でも楽しいビジターセンター」を掲げた。

重視されたのはホスピタリティだ。まずエントランスに吹抜けを設け、シンボルとしての大きな暖炉を設置している。真夏を除けば朝夕にストーブが必要なほど冷えるが、暖かい火が迎えてくれる。全体のデザインは、長年山翠舎と協働している小林氏によるもので、幾田氏がイメージした通りに仕上がった。
子どもや海外からの観光客への配慮から、展示のインターフェイスやサインはひと目見てわかる、触って体験できるものを開発した。検索すれば詳細な情報は誰でも調べることができる時代に、ここにしかない経験的な学びを大事にした。雨天でもボルダリングやスラックラインを楽しむことができるし、飲食が可能な場所も設けられた。

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エントランスに待ち構える大きな暖炉。吹抜けの仕上げには古木や長野県諏訪地域の鉄平石が用いられている。

 

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木材がふんだんに使われている。タッチパネルによる学習コンテンツもリニューアル時に新たに制作された。左奥にはボルダリングスペースが見える。

 

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お弁当を持ち込むことも可能で、水やお茶を無料で提供している。

改修は公共的な事業だったため、様々な行政上の手続きなどがあり、2017年夏の開業まで長い時間がかかったが、その間には大きな出来事も起きた。2014年11月22日の長野県神城断層地震だ。小谷村でも震度6弱を記録し、大きな被害をもたらしたが、倒壊し解体せざるを得なかった古民家から材を回収し、栂池ビジターセンターの改修に用いられている。山翠舎が得意とする仕事で、地震の記憶や、家屋の思い出を継承した。
幾田氏は、「山翠舎さんは小谷村に何度も何度も足を運び、役場の方々とも密にコミュニケーションを取りながら、諦めずにお付き合いしてくれた」と、忍耐や信頼を重んじるところも高く評価している。

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2014年の地震によって倒壊してしまった古民家の材が用いられている。

小谷村ならではの表現──道の駅小谷の物販スペース

先述の道の駅小谷は、レストラン、温浴施設、物販と主に3つの機能をもっているが、レストランに続いて改修されたのが物販スペースだ。ここでは多彩な住民たちの参加があった。
杜氏でもあるという左官職人・小林幸由氏による土壁には、小谷村の土と藁が使われている。伊勢神宮の式年遷宮でも茅葺きを手掛ける職人・松澤朋典氏によるジオラマは、小谷村周辺の地形がうねる茅によって表現されている。通常の屋根葺き材よりも細い茅を集めたのは地元の子どもたちだ。着物などを細く切り裂き、新たな布として再生させる小谷村の伝統工芸「ぼろ織」が壁面を彩る。普段は主に食器をつくられている陶芸作家​​・荻原良三氏によって、小谷村の土を使ったオリジナルの陶板タイルも焼かれた。そして、シンボリックに立ち上がっているのが古木による小屋組みだ。
小谷村の材料と手仕事が全面的に採用され、農村らしさが表現されている。

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土壁がお客さんを迎える。

 

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北アルプスや雨飾山といった小谷村周辺の地形が表現された茅のジオラマ。

 

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陶板タイルによって仕上げられたカウンター下。奥に見えるのが2009年改修のレストラン「鬼の厨」。

 

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賑わう店内。中央には古木による小屋組みが建つ。壁面に飾られているのはぼろ織。

山翠舎のプロジェクト担当者は佐藤正宏氏。多くの人が参加する多様な工事を束ね、スケジュールを調整しながらつくっていく苦労があったようだが、「山翠舎は地元の元請けの建設会社の下に入って工事をさせていただいた立場。すべては幾田さんの構想や人々の協力があってこそ」と謙遜する。そうした謙虚な姿勢が、長く続く関係や困難な仕事を支えているのだろう。
山翠舎の「舎」とは、文字通り「建物」を表す。「社」ではなく「舎」の字が使われていることには、様々な人々がそこに集い、協働する会社でありたいという願いが込められている。小谷村の一連の仕事は、幾田氏をはじめ、村の様々な関係者の思いが詰まっている。

  

文:富井雄太郎[millegraph]
写真(特記は除く):浦部裕紀
協力:株式会社道の駅おたり株式会社おたり振興公社

  

古木を使った建築・内装・展示デザインなどのご相談は、山翠舎のフォームからお気軽にどうぞ。

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大町倉庫工場で出番を待つ常時5,000本以上のストック。撮影:富井雄太郎