東京・自由が丘にある「やき鳥 歩ム」。会津地鶏を扱う人気の焼き鳥屋さんです。その真向かいに、今度は魚料理の居酒屋「一會(いちゑ)」がオープンしました。どちらのお店も、石井一貴さんが奥さんのなおみさんと二人三脚で手がけるお店です。

焼き鳥屋を運営しながら、なぜその真向かいに今回、魚料理屋を開いたのでしょうか?

ご夫婦にお話を伺ってきました。

(2020年7月20日 取材)


 

— まずこのお店はどんなお店なのでしょうか?

 

石井一貴さん(以下、一貴)

職歴30年の職人がつくる鮮魚のお造りとおばんざい。あと、隣の「歩ム」の焼き鳥も召し上がっていただける、そんなお店です。

 

— 鮮魚を扱うお店もいろいろあるわけですけど、ここはどういった特徴がありますか?

 

一貴

目利きの魚屋さんと長い付き合いをしていまして、70過ぎの方なんですけど、その親方が仕入れてくる魚を使ってるんです。

もともと御嶽山(東京都・大田区の御嶽山駅前)でやってて、立ち退きになって(ここ自由が丘に)移転してきたんですけど、その御嶽山の隣の久が原っていうところにある魚屋さんで。最初の店をオープンして以来、もう15年くらいの知り合いの親方で。

 

— その目利きが選ぶ魚を楽しめるお店、ですね。

ところでお店を入ったところに、焼酎がたくさん並んでますね。

 

石井なおみさん(以下、なおみ)

焼酎と日本酒はたくさん取り揃えています。自分たちが好きだから(笑)

 

一貴

ピンポイントでこだわるんではなくて、いろんな種類の美味しいお酒を楽しんでいただけることにこだわってまして。そのほうが選ぶ楽しみがあると思うので。

 

なおみ

自分たちもご飯を食べにいくときに、「俺は焼き鳥を食べたい」「私は魚を食べたい」みたいになることがあるじゃないですか。お酒も一緒で、「私は日本酒飲みたい」「俺は焼酎飲みたい」って。「じゃあ、あそこの店へ行ったら2人とも満足できるじゃん!」っていうのがあって。そういうお店。

 

実はあんまりそういうお店、ないんですよ。チェーン店ではあるんですけど、個人店でこだわってやってるところでは、あんまりなくて。

御嶽山からここ自由が丘に「歩ム」を移転して、席数も少なくなっちゃったので焼き鳥だけにこだわってこの2年はやってきたんですけど、たまたま隣のここがあいたので、昔の「歩ム」に戻そうぜって。

 

— つまり御嶽山でやってたころは焼き鳥と鮮魚、両方やってたってことですか?

 

なおみ

両方やってました。

 

— で、この「一會」をオープンして、両方提供するスタイルにまた戻したと?

どっちの店でも、どっちの店のメニューも食べられると?

 

一貴

そうですね。

 

— なるほど、「一會」のオープンはそういうことだったんですね。

 

— ちなみに山翠舎に内装施工を頼んだのはどんな理由があったんですか?

 

なおみ

山翠舎さんはチラシが入ったときからずっと気になってたんです。「歩ム」を内装したときにちょっと後悔したところがあって。急いでやったので。

そのあとすぐに山翠舎さんのチラシが入って、「なんだ、ここに頼めばよかったなあ」って思ってそのチラシをずっと取っておいてたんです。

それで今回、連絡して。

 

— 何を後悔されてて、山翠舎で何を実現されたかったんですか?

 

一貴

業者さんとのコミュニケーションが不足してたってことですね。想いがあまり伝えられなかったり、勝手にやられてたりとか。

どうしてもお互い忙しいから、こっちも伝えることに対しておざなりになっちゃって。

 

なおみ

その点、山翠舎さんはコミュニケーションを面倒くさいぐらいやってくれる(笑)

 

— なるほど(笑)

 

一貴

私は人、ですかね。親切でしたね。

打ち合わせしながら、こっちの立場に立って考えてくれる会社さんだなと思ったので、最初は相見積もりをとってたんですけど、途中から山翠舎さんとやることに決めました。

 

— 内装ではどんなポイントにこだわりましたか?

 

なおみ

コロナ禍で不安だったので、本来の予算よりだいぶ削ってくださいって相談して。ただ、古木のズドンっていうこれ(天井にかかる古木の梁)は、なくさないでくださいって。

あとはね、カウンターの木。私たちが五反田でやってたお店で使ってた木で、会津の栃の木。すごい大樹で、村をあげての伐採式をやったくらいの木で、それを五反田のお店のテーブルで使ってたんです。

 

一貴

ただそのとき失敗したのは、色を塗っちゃって、

 

— 塗装されたんですね?

 

なおみ

「色を塗りますか? どうしますか?」って聞かれたとき、私たちもそれがどういうことかあんまりピンとこなかったんです。

 

一貴

で、けっこう木目がわからないくらいの濃い色で塗られちゃったんです。

 

なおみ

でも、どうしてもこの栃の木だけは、五反田の店を閉めても手元に残したかったので、「それをうまく活かせないでしょうか?」って山翠舎さんに訊いたら、「ああ、そういうの私たちは得意です」ってなって。

 

一貴

で、山翠舎の工場の方が夜なべして色塗装を剥がしてくれて、すごい綺麗に再利用してくださって。

素材はうちから出したものなんですけど、これはもうほんとにすごいなあと思って感謝してます。

 

なおみ

あとこだわったっていうと、コンセプト。(山翠舎デザイナーの)星野さんと決めたコンセプトなんですけど、ニューヨークのソーホーに住んでいるニューヨーカーなんだけど、日本が大好きな、日本オタクな。名前はデイヴィッドって言うんですけど、

 

— あっ、そこまで決めてるんですか。

 

なおみ

はい。そのデイヴィッドが住んでる部屋、っていうコンセプトで(笑)。

白を主体にして、なんとなく無機質な感じを残しつつ、作り込み過ぎない。無機質の中に温もりのある木がある。そういうコンセプトですね。

 

— 面白いですね。空間のイメージをキャラクター設定から起こしていくなんて。

 

— 質問は変わるんですけど、もともと一貴さんは料理人として飲食の業界に入られたんですか?

 

一貴

そうですね。脱サラなんで、26歳から料理人の道に入りまして。

 

— なんでそのとき料理人になろうと?

 

一貴

学生の頃から自分で何かをやりたいなとは思ってて。何をやるのかはまだその時は見つかってはなかったですけど、ものづくりをしたいっていうのはずっとあったんです。

もともとサラリーマンになったのも、社会経験を積んで勉強するために会社員になったところがあって。

26歳になって、これからものづくりを自分で始めるとして、この歳からだと何ができるだろうっていうことで、料理を選んだんです。

 

— で、料理の道に入って、それからは?

 

一貴

一年間だけ、フリーターみたいなかたちで、昼は運送の仕事をして、夜は焼き鳥屋で仕事をして。

 

— それはハードですね

 

一貴

ハードでしたね。

そこでいろいろ今後のことを考えて、選択肢を焼き鳥に絞ることにして。

修行先をまた別の焼き鳥屋に変えて、そこから7年間勉強させてもらって。

そのあとに独立ですね。

 

— 焼き鳥一本で修行されたんですね?

 

一貴

その店は魚もちょっとやってたので、そこで魚の扱いも勉強しまして。

 

— なるほど。それで焼き鳥と鮮魚なんですね。

— ちなみに「一會」っていうお店の名前にはどんな想いがあるんですか?

 

一貴

一期一会。出会った人、これから出会う人にも十分なおもてなしをしたいっていうのと、業者の方、生産者の方とも、今までの出会いに感謝してっていう気持ちですね。あと、そういう生産者さんたちの思いを伝えたいっていうのがあって。

 

なおみ

「一會」は、もともと五反田でやってたお店(「地鶏処 一會」)の名前なんです。

「みしまや」っていう会津の養鶏所の社長に、会津地鶏のガラがすごい余ってるっていう話を聞いて、「ラーメン屋でもやってくれないか」ってそそのかされまして(笑)、「ラーメンみしま」っていうお店を千鳥町で始めたんです。

そのあと、東日本大震災で福島の風評被害が起きちゃって。ちょっとでも何か力になれないかなって思って、五反田で会津地鶏の店を開いて、それが「一會」っていうお店だったんです。

 

— 話を伺っていると、生産者さんや業者さんとのつながりを大切にされてますね。

 

一貴

生産者さんが愛情込めてつくっているもの、そういったものを最高の状態でお客様に提供するのが私たちの使命だと思っているので。お互いにいい生活ができるように努力をしていきたいなっていう想いですね。

 

— これからこの店をどうしていきたいですか? もしくは自分の生き方だったり夢だったり、将来への想いはありますか?

 

一貴

特にないんですけど、、

 

なおみ

特にないんかい(笑)

 

一貴

ただ、みんながいい生活をしてほしい。

 

飲食業って一般的に労働時間も長いし休みも少ない、厳しいといわれる業界じゃないですか。それを生産者さんたちとともに、ちょっとずつ向上していくことで、みんながいい生活をしてほしい。

 

価値あるものを提供してると思ってるので、そういう価値あるものを高めて、その結果、飲食店を目指す人っていうのを少しでも増やせることができたらなと思いますね。

 

— 今日はありがとうございました。