東京 神保町 錦華通りの横筋に、青森産の食材を使った「青森割烹 あずましく」があります。
大学卒業後料理人として修行を重ねてきた齊藤信弘さんが、2023年7月にオープンさせたコース形式メインの割烹料理屋です。
落ち着いた民家風の空間で、青森の郷土料理や食材をベースに和食の技術を凝らした創作料理が楽しめます。
2日後にグランドオープンを控えた2023年7月12日、お店を伺い、料理人としての歩みやお店を立ち上げるまでの経緯、物件探しの苦労まで、さまざまなお話を伺ってきました。
(2023年7月12日 取材)
— 齊藤さんは青森出身の方ですか?
そうです。青森の弘前市というところです。
— 自分の幼少期に慣れ親しんだ料理を、割烹として出そうと?
そういう要素も入れながら、ですね。
青森には高校までいたんですけど、そのときはぜんぜん地元の魅力に気づかず、
東京に出てきてたまたま料理の仕事に入って年数を重ねていくうちに、
自分の地元の食材や料理って、どうだったんだろう? と。
そうやって振り返っていくうちに、少しずつ青森の食材について知っていった感じで。
なので、ようやく最近になって、ですね。
青森料理というもの自体は存在しないんですけど、
青森の料理っていうものをどう形作っていったらいいんだろう、と。
青森割烹、青森料理って自分では名乗ってますけど、実際は創作料理みたいなイメージなんです。
— となると、どういうかたちで青森性というか、青森の特徴を出すわけですか? やはり食材ですか?
そうですね、食材ですね。
まず他県の人に「青森ってどんなイメージか?」を聞くと、
たいていリンゴやマグロをイメージされると思うんですね。
でも、それ以外にもいろんな食材がありますよっていうので、
お肉だったり魚だったり野菜だったりを、地元の人たちと直接やり取りして仕入れてるんです。
それらの青森の食材を、郷土料理というかたちもありますけど、
今まで自分が培ってきた日本料理の経験を通してちょっとアレンジして。
つまり、日本料理のかたちとして自分の中でまとめて作っていく創作料理ですね。
それを新しいジャンルとして青森割烹と名乗ってしまおうと。
— 齊藤さんが作るその青森割烹っていうのは、どんな傾向、特徴があるんですか?
青森の食文化って、やっぱり汁物。
寒い地方なので温かい汁物があるんです。
それを自分が作るコース料理の中には必ず入れるっていうのが一つ。
そしてリンゴ。
例えばリンゴで作ったソースをお肉に合わせたり、揚げ物と合わせたり。
あとほかには、青森のスーパーには「玉子とうふ」っていう、茶碗蒸しみたいなお豆腐が売ってるんですよ。
中に鶏肉とか椎茸とかいろいろ入った。
普通の玉子豆腐だと何も入ってないと思うんですけど、青森の玉子とうふっていうと、茶碗蒸しみたいにいろいろ具材が入っているんですね。
そういう青森にしかないものを和食のコースの中に組み込んだりしながら、自分なりの料理を作っていく。
あと、青森はリンゴジュースが有名で、アップルワインなんかもあるんですけど、
そういった甘めの飲み物とマリアージュさせても美味しくなるように、料理の甘さを控えめにして、料理も飲み物もどっちも引き立つような味付けにしてますね。
— 齊藤さんが飲食の道に入ったのには、どんなきっかけがあったのですか?
大学まで柔道をやってた関係で警備会社に就職が決まってたんですけど、
完全に違う仕事、手に職がつくような仕事を何かしたいなっていう考えがあったんです。
その時友達に「料理とかどう?」って誘われたのもあって、
「あっ、料理か、いいなあ。食べるのも好きだし」っていうので、最初は軽い気持ちで。
— もともと料理が趣味だったとかでもなくて?
まったく。男飯みたいな感じで簡単な自炊はしてましたけど。
大学まで柔道部で、バイト禁止の部だったので、バイトでの飲食経験も何もなく、社会人になって飲食の世界へいきなり飛び込んだんです。
それが大手のチェーン店だったんですけど、そこの教育機関がしっかりしてて、
自分の配属されたお店には、すごくいい料理人がいっぱいいたんです。
20年くらい歳の離れた先輩たちだったんですけど、その人たちが料理の楽しさを僕に教えてくれたんです。
料理の世界って厳しいイメージがあるじゃないですか?
けど、僕の入ったところはとにかく楽しくて。
和食の居酒屋業態の店で、週に2回、鯵が100匹来る、みたいな。
「やってみろ」っていうので、そこで魚のおろしかたとか、すぐやらせてもらったりしたんです。
とにかく先輩には根気良く教えてもらって、辛さよりも楽しさの方が多かったですね。
その時のバイトの人たちとは今も仲がいいんですけど、
先週のプレオープン中も何人か食べに来てくれて、
「あのとき(齊藤さん)、めちゃくちゃ頑張ってたよね」ってその人たちに言われたんです。
けど、当時はぜんぜんそんな意識がなくて。
本当に毎日楽しかったっていう記憶しかないんです。
柔道をやってたから体力が有り余ってて、一日中、休憩なしでもぜんぜん大丈夫。
日曜日だけ休みをもらってたんですけど、楽しいからその日曜日も自分から出てましたね。
そこで調理師免許を取ったんですけど、居酒屋でしたから、「もう少し上の世界も見たいな」って思ったんです。
それでお店の人に相談して、「やるんだったら銀座とかでやろう」と。それで新しいお店に進んで。
— 割烹ですか?
そうですね。オーナーが京料理出身の割烹スタイルのお店に行ったんです。
僕が入った時は、表参道と銀座に2店舗ありまして。
総料理長が別にいて、その人の元で7年ぐらい指導を受けて。
所作とかお客様との会話もそうですけど、カウンターの仕事の仕方というか。
そこでも料理の世界っていいなって思いましたね。
厳しい人でしたけど面倒見のいい方で、今でも仕事終わりに様子を見にきてくれたりとか、アドバイスもくれるんです。
そうやって、最初の店とその店で10年近く修行できたので、ようやく自分のお店をやろうと思ったんです。
でもちょうどその頃にコロナが始まって、「どうしようかな…」ってなったんです。
そしたら知り合いのツテで「恵比寿の方で日本料理店が始まるからバイトで行ってみないか?」なんて言われたので、バイトで行って。
「そのまま社員として当分いてもいい」って言ってもらえたので、そこで2年。
— コロナの期間をそのお店で過ごしたのですね。
そうですね。その店の方にも、扱ったことのない食材とか調理法、料理の考え方、いろんなものをまた別の角度で教わったんです。
その人はオーナーシェフだったので、オーナーシェフとしての考え方、動き方っていうのはけっこう学べましたね。
それで「いよいよ自分の店をやるぞ」ってなるんですけど、
その店はランチから動いているから、休みは日曜日だけ。なかなか自分のお店の物件探しもできないわけです。
そのときに、大学の柔道部の先輩がオーナーをやってる焼き鳥屋が代々木にあるんですけど、
その人に物件の相談とかしてたら、
「じゃあうちは夜だけなんで、よかったらうちで社員として働きながら、昼は物件探しとか自分の独立の準備するのはどう?」っていう話をもらったんです。
そこでちょうど一年、お世話になって。
自分の経歴としてはこんな感じで、とにかく出会った人全員にお世話になったというか。
出会いが良かったっていうのが一番かも知れないですね。
その人たちから教わってなかったら、こういうふうに自分の店の準備なんかできなかったと思います。
— 話を伺っている感じだと、どの経験に対してもポジティブで、すべていい方向へ持っていける齊藤さん自身のキャラクターの力が大きそうだな、という印象です。
僕、けっこう、ほんとうに…、悪く言ったら「流されやすい」とも言われますけど、
とにかくどんどん取り入れる性格なんです。
ただ、その結果良くなかったらパッてすぐ切って、という性格。
とにかくやってみる。この「まずはやってみる」は絶対必要だなって思ってますね。
— 物件探しはどうでしたか?
自分の中ではいろいろ勉強したつもりだったんですけど、
やってみるとわからないことだらけで、ぜんぜん見つからず。
— 物件探しについて勉強されたんですか?
そうですね。例えば自分の店では炭を使いたかったので、炭オーケーの物件じゃないとダメとか。
重飲食/軽飲食で、日本料理は重飲食だとか。
オペレーション的には自分一人で調理するのだったらこれくらいの規模だとか。
あとはまあ家賃の相場とか。
そういったことを調べて物件探しをしたんですけど、内装業者が決まっていないと不動産屋さんがあんまり相手にしてくれなかったりで。
— 物件探しはみなさん苦労されますね。
そうやって物件を探していく中で、今のこの場所から二つ通り向こうに、気になる物件が出たんです。
それで見に行ったんですけど、
不動産屋さんに「内装業者さんを連れてきてください」って言われまして。
山翠舎さんのことは以前、別の料理人の方から「もしお店を作る時に木を多めに使いたいとか、雰囲気を出したいとかだったら、山翠舎さんがいいよ」っていう話は聞いてたんですね。
それで山翠舎さんに当たってみようと思いまして、
連絡して、「この物件、ちょっと考えてるんですけど」って相談したんです。
そしたら山翠舎の相馬さんが、炭を使うならどうとか、工事がこれぐらいになりそうだとかいろいろ調べてくれて。結果、「ちょっと微妙ですね」っていう話になったんです。
その代わりに持ってきてくれたのが、今のこの物件だったんです。
「ここ、どうですかね? 一緒に内見行きますか?」っていう感じで。
そこから山翠舎さんと関わりを持つようになって。
— そして料理人応援システムのOASISも活用していただいたわけですが、どうでしたでしょうか?
持ってきていただいたこの物件が良くて、「ここにします」ってなって、そこから料理人応援システムのOASISを活用させてもらうことにしたんです。
書類作成、ちょっと大変だなって思った時にOASISの話を聞いて、
そういうことに変に時間を取られるくらいだったら、OASISを活用してスピーディーに物事を進めていったほうがいいなって思って。
融資を受けるために必要な書類作成、事業計画書とか見積書とかも含めてやっていただき、助かりましたね。
— 実際お店が出来あがって、どうですか?
デザインもそうですし、動線、オペレーションの部分もやりやすくて。
けっこう要望とかもしたんですね。
あそこの棚も最初なかったんですけど、「作って欲しいです」って言ったら、
すごくいい雰囲気のものを作っていただいたり。
民芸品とかも飾りたかったのでそうお伝えしたら、
ああいうふうにライトアップされるような棚も作っていただけましたし。
キッチンの動きもやりやすいですし、お店の内装も、来るお客さんみんな「すっごいいいね」って。
— これからどんなお店にして行きたいですか?
青森にゆかりのある人たちが集えるような場所にしつつも、青森とは関係ないけど「美味しい料理を食べたいよ」っていう人たちに来てもらえる場所にしていきたいですね。
神保町周辺って、カレーが有名、ラーメン屋さんも激戦区になってきてて、ランチ需要はすごいある。
だけどディナーでしっかりしたコース料理の食事ができる店っていうと、ポツン、ポツンとあるくらいで、そんなにないんです。
なので、「いいものを食べたいんだ」って、うちを選んで食べにきてくれるお客さんや、民家風の空間で落ち着きながら美味しいお料理を食べたいっていうお客さんを、徐々に徐々に、呼び込んでいきたいですね。
— 今日はありがとうございました。