東京は江東区の下町、亀戸。ここに2023年3月21日、“ちょっとお洒落な下町大衆居酒屋”として「2階のはりく」がオープンしました。
オーナーは同区で複数店舗を経営する徳嶺孝太さん。27歳で一号店「OKINAWA dining はりくやまく」をオープンし、その後、坦々麺のお店やモバイルキッン事業を展開しながら、今回「はりくやまく」2号店として「2階のはりく」を立ち上げました(* 「はりくやまく」とは、徳嶺さんの出身地沖縄の民謡にある言葉で「上がっておいで」という意味)。
ほぼ飲食業の素人といっていい状態から繁盛店を作り出し、複数店舗を展開するに至った徳嶺さん。オープンから1ヶ月が過ぎた「2階のはりく」を尋ね、お話を伺ってきました。
(2023年5月1日 取材)
この「2階のはりく」というお店は、どんなコンセプトで作ろうと思われたんですか?
亀戸っていう下町の地域柄を大事にしながら、だけど新しいトレンドも融合したお店に挑戦したいなあと。自分自身、木が好きというのもあって、それで木を使ってこだわりのあるお店作りをしようと思ったんです。
一号店の「OKINAWA dining はりくやまく」と同じ、沖縄料理がメインのお店ですか?
一号店はまさに沖縄料理屋なんですけど、このお店はもっと小洒落ているというか、沖縄の民謡は流さない(笑)。70年代とか80年代のJ-Popを流したりして、雰囲気作りは一号店とはちょっと分けてます。和食の大衆居酒屋にちょっと沖縄の要素が含まれている、そんな居酒屋にしてますね。
コテコテの沖縄料理屋だと少し入りづらいと思う方もいるので、もっと下町っぽく、みんなに受け入れられるような方向にしてます。
もともと徳嶺さんはどういう流れで飲食の世界に入って、どう歩まれてきたんですか?
僕、ほんとに、飲食のキャリアっていえるようなものがないんです。職人でもないですし。
最初、アルバイトでこの世界に入ったんですよ。26歳の時に。
居酒屋ですか?
沖縄居酒屋にアルバイトで入ったんです。
だけど一年ぐらいして、そのお店がつぶれちゃったんです。一年間そこでアルバイトをやらせてもらったんですけど、それだけなんですよね。
その状態で27歳のときに、今の「はりくやまく」をオープンさせたんです。
1年間アルバイトしただけの経験で自分の店を持つっていうのは、すごいですね。どうして独立の選択を?
当時のオーナーさんが、「この店舗をやっていけない」って言うから、だったら「僕がやってみます」って言って、
つまり、バイトしていたお店を引き継いだということですか?
そうです。買い取った感じです。
それは、自分ならできるんじゃないかっていう目算があったんですか?
ないです(笑)。
まったくなかったです。料理人でもないですし。
でも、なんか自分でやってみたい。
直感みたいなものですね。そこから始まってるんです。
やはり、苦労はありましたか?
今思うと、あのころには戻りたくないっていうくらい、きつかったですね(笑)。
料理に関してもそうですけど、飲食のことに対して無知すぎて。
最初の不動産手続からして知らないことだらけで、料理も仕込みもそうですし、宣伝の仕方も集客も、スタッフの雇用も、もう、真っ白だったので。
最初の3年ぐらいは、吐きながらやってましたね(笑)。
過重労働状態ですか?
そうですね。まあ、寝ずに働けばいいや、人の倍やればいいやと思ってたので。
それでとりあえず、人の倍をやってたんですけど。
でも3年も経つと、さすがにちょっと、このままやってたらダメだなって思って。
体が持たないと?
そうですね。売上はそこそこ右上がりで昇ってはいて、その点では安堵できたんですけど、内側っていうか、精神状態が限界まできちゃいまして。
そこからやり方を変えていきました。自分がなんでもしようとしてたんですけど、スタッフに任せるようにしていきましたね。
ほんと、人に恵まれましたね。入ってくれるスタッフたちがすごいいい人たちで、助けてもらった感じです。それが一番ですね。
そこから店舗も増やし、事業展開されていくわけですね。
坦々麺をやったり、トラックを買ってキッチンカーをやったり。
そして今回、この「2階のはりく」をオープンさせたわけですけど、どうして亀戸のこの場所でやろうと?
店舗を出すっていうのは決めていたんです。でも、どこに出すかは決まっていなくて。本店(一号店の「OKINAWA dining はりくやまく」)から近い場所っていうので物件を探していたんです。
それで、不動産巡りをしながらいろんなところを見ていたんですけど、天井がバーンって抜けたこの物件を見た時に、何かかっこいい店が作れそうだなと思って。
しかも一階じゃないから、ちょっと隠れ家的。お客さんが「かっこいい店、ちょっといい店を見つけた」みたいな感覚になってくれるような気がしたんです。
「ここならいいお店が作れるかも」と思って、最初にこの物件を押さえましたね。
物件を先に押さえ、その後でどんなお店をここでやるかを決めていったんですか?
大衆居酒屋をやりたいっていうのはもう決めてあったんです。
なんで大衆居酒屋をやりたいと?
たぶん自分が好きだからだと思います。
僕自身よく行くお店が、イタリアンとかフレンチとかよりは和食で、和食の中でも安価で食べられる大衆居酒屋なんですよね。
大衆居酒屋もいろいろあるんですけど、もうちょっとかっこいい感じだったらいいのになあと思って。
ああ、確かに。お洒落な大衆居酒屋。ちょうど空いてるゾーンですね。
ここらへんに、あんまりないんですよね。
それでお皿とかグラスとかにもこだわって。でも安い! みたいな。
そんなところも、わかってくれる人はわかってくれるんじゃないかなあと思って。
山翠舎に内装を依頼しようと思ったのには、どんな経緯があったんですか?
10社ぐらいの内装屋さんにこの物件を見てもらったんですね。それでいろいろ見積もりを出してもらって、「こういう感じにしましょう」「ああいう感じにしましょう」っていう提案をいただいたんですけど、いまいちピンとこなくて。何かテンションが上がらなかったんですよ。
でも、物件は押さえてすでに決まってる。早く決めないといけないっていう焦りもあって、それでちょっと悶々としてたんです。
そしたらネットで山翠舎さんの内装事例を見つけて、ピンときて。店主さんのインタビューも読んだりして、これは間違いないなと思って。
すぐ問い合わせしました。値段は多少しても、妥協と後悔はしたくないと思って。「全部お願いします」って。
実際に出来上がったものを見て、どうでしたか?
いやあ、なんだろう、施工中も毎日僕はここにきてたんですよ。出来ていく過程を見てるんで、出来上がって「オー!」っていうよりも、徐々にテンションあがっていく感じでしたね。
一番テンションが上がったのは、出来上がってオープンしてお客さんがグァーって入った時。
「ここ、やばい!」って思いましたね(笑)。いいの作ったなって。
中でも気に入ってるところはありますか?
お客さんにはエンターテイメント的な感覚で楽しんで欲しくて、いろんな席を作ったんです。丸い席があったり、長い席があったり、半個室みたいな席があったり。「次来た時は、あっちへ座ってみたい」とお客さんが思えるようなお店にしたくて。
そういう空間にしたかったっていうところは、こだわったところですね。
ちなみに天井から木を吊るすのは、徳嶺さんのアイデアですよね。
普段、カフェとかへ行って、お店の中に気に入ったものがあると写真で撮ってるんです。
床から木が生えてるお店とかもあって、「こういうの、かっこいいなあ」と思って写真を撮ってたんです。そうやってネタを集めて、次にやるお店はこういう古木とか流木を使って、ワクワク感のある空間にしたいなと前々から思ってたんです。
経営者として、ゆくゆくは「もっとこういうことをしていきたいな」とか、ビジョンとか夢とかはありますか?
飲食業界って、長時間労働だったり、スタッフがすごい休みづらかったりすることが多いんですけど、その原因って要するに売上なんですよね。売上が良ければ休みも取りやすいはずで、ちゃんとなっていくと思うんです。
でも売上高が中途半端だと、可哀想な雇用状況が生まれる。
なので飲食の働き方をすごく変えたいですね。それには繁盛店を作り出さないと。
徳嶺さんがやられてるお店は、そこがうまく回せているということですね?
そうですね。週休2日は絶対、みたいな。休みも後輩が取りづらくならないよう、上の人が率先して取っていく形でやってます。そのためには、繁盛店にしないといけないっていうことです。
自分がやりたいことなら自分で寝ずに働けばいいわけですけど、一緒にやってもらってるメンバーが大事だと思うんで、業界のそういうところは変えたい。それが普通だよっていうふうにしていきたいですね。