東京・小伝馬町の地下一階にある、美味しい料理とお酒が楽しめるお店「みを木」。

造り酒屋が次々と廃業していく日本酒斜陽の時代に、オーナーの渡辺愛さんが、大好きな日本酒業界の力に少しでもなれたらと、2010年、銀座で創業しました。

その「みを木」が、2019年5月、新天地の小伝馬町に、山翠舎の内装施工により移転オープンしました。

 

渡辺さん自らデザインした店舗ロゴには「○○のみを木」とあります。

お店のスタイルを、店側が言葉で規定しないのです。この空白は、お客さんぞれぞれが感じる、その自由に任せられています。

 

そこには、2010年の創業から少しずつ変化してきた渡辺さんの考えが投影されています。

そんな渡辺さんに、お話を伺ってきました。(2020年10月20日 取材)

— このお店は、どんなお店ですか?

一言でいえば居酒屋ですが、料理が和食に寄りすぎていない居酒屋ですかね。

アルコールありきで料理を出している感じです。

 

— いろんな居酒屋さんがあると思うんですけど、みを木さんがこだわっているところ、個性はどんなところにありますか?

うちが出発したのは2010年の12月なんですけど。

そのときは銀座で日本酒の店をやっていたんです。

わたしがもともと日本酒の業界でいろいろやっていたので、日本酒を売りたい、日本酒を売るための料理っていうかたちでの居酒屋だったんですけど。

一昨年の11月に銀座のお店を閉めて、2019年の5月にここ小伝馬町に移ってきて。

そのときに、もう時代の流れからして「このお店はこんな料理」「あのお店は何屋さん」っていうのはそぐわないなと思って。

そこで、うちの料理人の鈴木もフランス料理を扱っている店の出身なので、彼はそもそもいろんなことができるんですよ。

 

本人のテイストとしては、いい素材を仕入れた場合に、あまり手を入れてやりすぎにしたくない。そうすると、いい魚を仕入れたら刺身にするっていうことになるんで、見た目は和食っぽい。けど、技巧はフレンチに近い。

 

そういうふうになると、うちは和食で日本酒の店って打ち出すのは合わないし、そういう打ち出し方はつまらないかなっていう気持ちになってきて、

移転を機に、内装も含めて「こんな店ですよ」っていう特徴をなるべく消す方向へ持って行ったんですよ。

 

— なるほど、面白い考え方ですね。

なんでもあるし、こだわらないところが逆にうちの売りです、っていうところですかね。

 

ただ、もともとの出発が日本酒なので、品揃えのメインは日本酒が多くなるし、求められるものもそちらが多いですかね。

— お店をジャンル化したイメージで売ってるわけではないから、逆にいうと、そういうこと以外の”何か”においてこのお店は続いているわけですよね?

そうなんですよ、”何か”で続いているんでしょうね。

ただ、ジャンルを言うっていうのが、わたしにはすごく難しくて。

 

うち、創業したときにクラウドファンディングで資金を集めたんですけど、

「名物を先に決めてくれ」とか、「資金を集めるための文言を決めてくれ」ってすごい言われて。

 

わたし、昔、広告の仕事をしていたから、そういうこともやろうと思えばやれるんですけど、そのときすごい違和感があったんですよね。

— そもそもお店のあり方っていうものが、果たしてジャンルに縛って限定するようなものなのか、っていうことですよね。

 

ちなみに渡辺さん自身は、どういう流れで飲食店をやられるに至ったんですか?

わたしはもともと美大を出て、映像の方に行って、CMを作ってたんですよ。

 

その社内にいる時に、日本酒の好きな先輩がいて。

わたしも日本酒が大好きだったんで、社内で日本酒研究会っていうのを名乗って。要するに、何人か集めて飲みに行くだけなんですけど(笑)、飲みに行ったらだんだん楽しくなってきて。

 

次第に「修学旅行だ」って言って、みんなで酒蔵見学へ行くようになったんですね。

 

そのときに地方の酒蔵さんに非常によくしていただいて。

やっぱり現場に触れると感動があって。もちろんお酒も美味しいし、何より人がよくて、しかもものづくりの現場だっていうことにわたし自身の日本酒業界への思い入れが強くなっていったんですね。それが20年以上前ですね。

 

そのころは焼酎がよく売れてた時代で、日本酒は斜陽産業だったんですよ。酒蔵がガンガン廃業している時だったんで、まあどこに行っても「あと何年やってられるかわからない」みたいな話を聞いて。

いずれ何かのかたちで恩返しをしたいなと思いながらきたんですよ。

で、自分もプライベートでいろいろあって。27歳で会社を辞めて、フリーランスとして映像業界に残ってはいたんですけど、

そこでずっとやっていくのもシンドイなと。時間帯も不規則だし、スキルを持ってずっとやっていけるフリーランスも一握りだったんで、どうしようと思ったときに、日本酒の仕事を真剣に考えてもいいのかもしれないなって。

 

ただ、日本酒の仕事といっても何をすればいいのか漠然としてて。

それで、ちゃぶ台の上にA4の紙を置いて、日本酒の仕事として思いつくものをぜんぶ書いていったんですよ。

飲食店から始まって、日本酒プロデューサーってのが当時いたので、そういう団体名とかを書いていったり、学校の先生とか、食品メーカーとか、蔵元へ無理やり嫁ぐとか(笑)

 

そうやって全部書き出していって、一個いっこ検証しながら、「自分ができそうで、絶対に撤退しないことって飲食店だな」っていう結論を出して、そこから始めたという感じですね。

— 完全に日本酒ありきだったんですね。

ありきだったんです。

 

それで、飲食店をやると決めたものの、学生の時のアルバイト以外、飲食業の接客とかまるで経験がなかったので、フリーランスで映像の仕事を続けながら、並行して池袋の坐唯杏(ザイアン)っていう日本酒の居酒屋でアルバイトを始めたんですね。

 

そこで経営に関わることもやらせてもらって。非常に過酷だったんですけど、

その一年があって、そのあと神田新八っていう日本酒の有名な店があるんですけど、そこの社長から声がかかって。

 

「新丸ビルで今度、神田新八が入店するから、そこの立ち上げを店長でやってもらえないか」って言われて、そこで5年ぐらいやって、そのあと独立したんですけど。

  

その神田新八が、とにかくお燗酒。

これは業界では有名で、「新亀酒造」っていう熟成酒燗酒っていうのに心血を注いだカリスマな蔵元さんがいらっしゃいまして、そこと非常に繋がりの深い店だったんですよ。

 

わたしも新亀さんはそれまでも何度か顔を合わせて知ってたんですけど。神田新八に入ってすごく深く関わるようになりまして。

そこからですね、日本酒でしかもお燗酒っていうところ。

わたしもそこを主軸において修行した感じになりましたし、わたしのイメージっていうと、日本酒のお燗業界の人、っていう感じなんですね。

 

だからうちには壁も亀を描いてますし、まあ、師匠の酒ということで。

  

「今は(お店の形態には)こだわらない」とは言ったんですけど、

やはりうちはそうした純米酒、燗酒というのは外せないキーワードにはなってますね。

 

— みを木っていうのはどういう意味なんですか?

これはですね、「みおつくし(澪標)」と同じ意味で。

みおつくしというのは、昔、船の水路に立てていた標識のことなんですよ。水の流れるところに立っている標識が「みおつくし」。

 

実はわたしの名前、そこからとって「みお」になるはずだったんです。ただ画数がどうにも合わなくて縁起が悪いということで「愛」という名前になったんですけど。

 

じゃあ自分のお店にはその名前をつけようということで。まあ水商売に柱を立てるという意味も担いで、ですね。

でも「みおつくし」そのままはちょっとイヤだなと思って調べたら、

「みおぎ(澪木)」というのが広辞苑に載っていて、それに決めたっていう感じですね。

 

今回新しくこの場所に移ったときに自分でロゴをつくって、「○○の」というのをつけて、

「○○のみを木」にしました。

— ああ、自分でデザインされたんですね。素敵なロゴですね。

これはさっきのジャンルを決めないっていう話にもなるんですけど、「ある程度うちの柱っていうのはあるけど、それを声高に言わなくていいじゃないか」と。みんなが好きな言葉をここに入れてください、と。

— 「日本酒のみを木」でも「旬な料理のみを木」でも、とにかくお客さんが思うようにつけてくれれば、と

そうです。だから好きなかたちでご利用していただければという。

 うちとしては寛ぎの空間と、美味しいお酒、お料理を出しますよ、ということで。

— ちなみになぜ山翠舎に内装を頼まれたんですか?

それは赤藤(しゃくどう)さん*がお客さんで知り合いだったので。

(*赤藤さん … 山翠舎代表の山上がソフトバンクに勤めていたころの同僚)

— そうだったんですね。

銀座の店を撤収しようと考えてたときに、今の店の2倍以上の広さがあったので、ものをどうするかっていうのがあって。

カウンターの木を外して一時期保管できないか? とか、これ(衝立)とかも前の店から持ってきたんですけど。

「そういうこともうまくご相談できるところないかなあ」って言ったら、赤藤さんが「僕の昔の会社の後輩が飲食に強い施工会社をやっていて、木材にも強いから、カウンターの板をどうするとかいう話もよくわかってくれると思うよ」って言って、紹介してもらってたんですよ。

やりやすかったです、スムーズでしたね、非常に。

— 内装でこだわったところはどんなところですか?

ウッディな感じは必要だなと思ったので、山翠舎さんはそこが得意だから大丈夫だろうと。

木の感じは活かしたい。けど、和風にしすぎないっていうところですかね。やっぱり手触りのある感じ、温かみが必要なので、スタイリッシュに寄りすぎないようにっていう。

— これからどういうふうにやっていきたいとか、夢や抱負はありますか?

みなさんおっしゃってると思うんですけど、このコロナをどう乗り切るかしかないですけどね(笑)。

  

どうなんですかね、創業当時は10年、20年続けて、非常にブランディングをしっかりしてっていうことが当たり前のように目標だと思ってきたんですが、そうじゃないなとだんだん思うようになってきて。

老舗であることの意味というよりは、自分の中ではより新しい価値観を提示していけたらという考えが大きくなってきて。

 

お店のカタチとかにこだわらず、もっと柔軟に考えていく。

個人としてのわたしは、店というカタチを残すというよりは、死ぬギリギリまでお酒を出すおばあちゃんで商売をしていきたいと思っているんです。

「渡辺愛と鈴木は、どこかで美味しい料理と美味しいお酒を出してるよ」という、それだけをずっと続けていきたいっていうことですね。

— 今日はありがとうございました。