東京都内にあるY邸。築50年の戸建てを「古いまま、新しくしすぎない」をテーマにリフォームしました。
材質からこだわったキッチンをはじめ、格子の門戸、畳の和室と、隅々まで施主Yさんのイメージが注ぎ込まれています。
このイメージコンセプトをかたちづくったのは、奥さんのYさん。草木染めなど、日本の伝統色でホテルやデパートの内装デザイン、カラーコディネートを手がける会社の社長さんでもあります。
そんなYさんに、リフォームに込めたイメージやその理由など、お話を伺ってきました。
(2020年8月11日取材)
— この家はどなたがお住まいだったのですか?
もともとは旦那さんの両親が住んでたんですけど。
— ご両親が亡くなられて?
そうです。二人とも去年、立て続けに亡くなったので、その家をリフォームしてっていうかたちです。
私たち夫婦は広尾のマンションに住んでたんですけど。
この家を空き家にしておけばどんどん壊れていくだろうし、かといって、古いままでは人にも貸せないし。じゃあ、ということで引っ越してきたのが去年の夏です。
— 築何年ぐらいですか?
50年ちょっとぐらいじゃないですかね。
— こんな風にリフォームしたいなっていうイメージはありましたか?
はい、もうあって。イメージになるような写真もとりためてスクラップブックにしていたので、
それをデザイナーの人に渡して、「こういうイメージでできますか?」っていうのを訊いて。
なので、イメージは決まっていて、それをつくってくれる業者さんを探してたっていう感じです。
「あまり新築みたいに新しくしない。古いままでリフォームしてほしい」っていうのが第一条件だったんですけど、
そしたら山翠舎さんが「いいですよ」ってなって。
— リフォームイメージは旦那さんではなくて奥さんが組み立てていったんですか?
そうですね。
— 奥さんからリフォーム内容を解説していただいてもいいですか?
長年マンション暮らしだったので、システムキッチンが最初からついている生活をずっとしてきたんですね。
でも私はシステムキッチンが苦手なんです。だからキッチンにはこだわりました。
まず自分の身長に合わせて使いやすいようにして。
なんでも見えるところに物を置きたいから棚はオープンにしたいと思って、そのとおりに。
ステンレス素材も嫌いだったのでそれもぜんぶ木にして、塗装もなしで、無垢の木で。染み込んで古くなっていく感じのものが欲しいっていうのが私の希望だったんです。
これからどんどん時を重ねていくわけですけど、ただ古くなるんじゃなくて、味わいが出て綺麗に見えてくる、そんなリフォームをしたいなあと。
そしたら理想通りに。
— やはりいちばん力を入れたのがキッチン?
キッチンですね。
ずっといろんな家に住んできて、一度もこれだと思うキッチンがなかったので、これはもう自分でオーダーメイドするしかないんだとずっと思っていましたので、すっきりしましたね。
— 食器や什器も一つひとついいものにこだわられてますね。
そうですね。自分の中にすごいこだわりがあって、
この食器じゃなきゃいけない、この鍋じゃなきゃいけないっていうのがあるので(笑)。
人が出入りする家ですので、キッチンだけはこだわりました。
— 人というのは、生徒さん(奥さんのYさんが主宰する染色・着付け教室の生徒さん)のことですね?
生徒さんが好きなようにコーヒーを飲んだり、好きなように使えるようにって。
— 木を使って内装施工するいろんな会社があるなかで、山翠舎を選んだのは、どういった経緯があったんですか?
若いときに飲食店プロデュースの仕事をしていた関係で、
私の知り合いに飲食業をやられている社長さんがいるんですね。
「今度こういう内装で家を作りたい」って私が話してたら、その方が「山翠舎さんがいいんじゃないかな」って。
それで紹介してもらって。
本当は、自分の中では将来は古民家に住む予定だったんです。
広尾のマンションはそのままにしておいて、どこか田舎に家を買うつもりで。
ただ、今はまだ自分の仕事も忙しくて引退するにもちょっと早いですし、ここ東京で旦那さんの両親の家を引き継いで、古民家風の家にリフォームして住もうっていうことで。
最後まで大変だったのは家の門戸です。
門戸をつくるかつくらないかですごく予算が変わってきちゃうんですけど、「どうしても作って欲しい」ってお伝えして。
— それはなんで?
なんででしょうね(笑)。
西荻窪に「Re:gendo(りげんどう)」っていう古民家カフェがあって、そこのコンセプトが好きで、それを理想にして考えていたんです。だからRe:gendoのように門戸も欲しいなと。
— そもそも、こういう日本の古い住宅や暮らしといった世界観に惹かれるきっかけっていうのは、なんだったんですか?
私、今みたいに初めて会う人に対しては洋服を着てるんですけど、日常的にはほぼ着物で過ごしてるんですね。
365日のうち半分以上は着物なんです。
着物だと畳じゃないといけないし、引き戸じゃなくて横戸じゃないといけない。入り口には門戸があって、玄関はカラカラっと開けて入る。
それが着物を着て生活するっていうことになるっていう感覚があって。
— もともと生い立ちも着物と密接なんですか?
小さい時から日本舞踊とかお茶とかをやってて、着物を着てたんです。
一時期、海外に出て勉強していた時期もあったんですけど、海外へ行ったことで、かえって自分が日本人であることを意識させられまして。
それで帰国してから、自分が育ってきた経歴を大切にしてそこをしっかりやっていこうと思って、染めや織や着物の世界に入ったんです。そして2012年に会社を立ち上げたんですね。
いろいろ人生があって、最後はやっぱり日本人なんだなっていうところに立ち戻ったというか。
— これからこの家に暮らしながら、どういうふうにしていきたいっていうのはありますか?
終の住処にと思ってつくったんですけど、つくってみると、あともう一個くらいつくりたいなと(笑)。
しばらくはここに住むんですけど、いずれ誰かに貸すか、ギャラリーなり教室なりとして運営して、もう一個つくろうかなって。今度はすごく小さな家を。大きな土地に小さな家を終の住処として。そういうのをつくってみたいなって。
— やっぱりプロデュースしていくのが好きなんですね。
そうですね。作り終わると終わってしまうので、また何か新しくつくらないと…。
なんででしょうね、いっつもつくることばかりで、着地点があるようでないみたいな感じなんですけど(笑)。
— お話を聞いていて、根っからつくる方なのかなあと。
そうなんでしょうね。つくるのが好きなんだと思います。
— 今日はありがとうございました。