信州松本の中町通り。風情ある景観を残したこの観光商店街に、蔵造りの建物を生かした居酒屋「酒膳てんてこまい」があります。同じ長野県は諏訪市出身で、東京で飲食の修行をした久保田貴文さんが2024年9月1日にオープンさせました。
オープンからほどない10月の終わり、お店を訪ね、なぜ松本という街で店を開こうと思ったのか? 松本で開くなら、どんな店にしたいと構想を重ねたのか? お話を伺ってきました。
(2024年10月28日 取材)
— どんな特徴をもった居酒屋さんになりますか?
松本市で商売するにあたって、蔵の物件をずっと探していたので、
— 蔵限定で?
はい。蔵限定で2年ぐらい探してましたかね。
東京で修行していたので、休みの日にこっちに来て、不動産屋さんに顔出したり、歩き回ったりして、時間をかけて探していましたね。
蔵の造りを大切にしている松本市なので、ここで商売をやるなら蔵のある物件がいいなっていうので、そういう物件を選んだというのがまずは特徴の一つ。
料理でいうと、東京の豊洲から直送で鮮魚をとらせていただいていて、それを提供しているというのが一つ。あと「特選牛肉の肉豆腐」というメニューがあるんですけど、ずっと煮込んでおいた肉ではなくて、注文をいただいたらお肉をしゃぶしゃぶする。そんなすき焼き仕立ての、柔らかい肉豆腐を名物にしてます。
あとお米で、羽釜を使って毎日炊いてまして、炊き上がった瞬間に、パフォーマンスでみなさんに一膳ずつ提供してます。
ちなみに店名の「てんてこまい」の「まい」は、そのお米と掛けているんです。
— しっかり考えてお店を立ち上げられてますね。
構想は練りましたね。松本市の需要がどういうところにあるのか、まだわかってないところもいろいろあるんですが、「こういう店があったら、みなさん来てくれるかな」って思いながらやってます。
落ち着いた空間で食事とお酒を楽しんでいただけたらなあと思って、席もかなり広めにとって、ゆったりとした作りにしました。
— 久保田さんは松本出身の方なんですか?
いえ。長野県の諏訪市の出身になります。
— なんで松本で店をやろうと思われたのですか?
諏訪も魅力的な場所ではあるんですけど、独立するなら「従業員を雇用して商売をする」っていうのは自分の中で決めていたので。個人でやるぶんには諏訪でも困らないと思うんですけど、今後何店舗か展開していきたいっていう視野を持っているので、そのためには長野県内の中でも、観光の街で、移住者も多い松本市がいいかなと。長野市も見てみたんですけど、「長野県内だと松本市が一番いいだろうな」って。
あとさっきもいったように、蔵のある松本市の雰囲気が好きで。昔の街並みを大切にしている。そういうところにも魅力を感じましたね。
— 久保田さんはどういったキャリアで今回の独立にまで至ったのですか?
飲食を社員としてやったのは、ここ4年8ヶ月くらいのことなんです。
最初は高校を卒業してアパレルをちょっとやって、一年ぐらいですかね。でもすぐ辞めちゃって。そのあと地元の工場で働いたんですけど、「もったいないな」と思うようになって。それで大学に行こうと思って、予備校に通ってから大学へ行きました。
なので3年出遅れですかね。回り道しましたけど。それで大学を卒業して、サラリーマン。ビールメーカーに勤めて。そこで2年半ぐらい働いて、その後、飲食の世界にっていう流れです。
— それぞれに筋道があったんですか? それともビールメーカーを辞めるまでは、行き当たりばったりだったわけですか?
そうですね。やりたいことがあったわけでもないので。
18歳のころは洋服が好きだったので洋服の仕事をやって、でも何か違うなって思って、結局地元に戻って製造業に入ったけど、このままだとなんかもったいないし、都会に出たいなっていうのがあって。何かきっかけを探すなかで、大学へ行こうと。それで勉強して大学へ入って。紆余曲折していましたね。
— ビールメーカーを辞めて飲食業に転職した時には、この道で行こうって定めていたんですか?
定めてました。
実は大学時代に4年間、飲食店でバイトしていたんです。楽コーポレーションっていう飲食グループ企業のお店だったんですけど、その会社のコンセプトが、「うちで居酒屋修行して、一国一城の主としてみんなお店を出しなさいよ」っていうところだったんですね。
その時に、自分がもし飲食でやっていくなら、「この感じを長野県の松本市あたりでやったら受けそうだな」って、すでに思ってはいたんです。当時は自分でそれをやろうとは考えてなかったんですけど、仮想の話として、そんなことをバイトをしながら思ってはいたんです。
— 当時のその仮想の話を、今回現実化していこうってなったわけですね。
それで、ビールメーカーを辞めたあと、楽コーポレーションで修行をして独立した方のお店が東京の中野にあったので、「ニューヨック中野」っていう店なんですけど、オープンして一年経つか経たないかぐらいのタイミングで社員として入社させてもらったんです。
もともとそのお店のオーナーさんとは認識があったのと、そこのスタッフの方にも知り合いがいたので、ちょっと口をきいてもらって入れていただいた感じです。
— そこで4年?
4年8ヶ月なので、約5年ですかね。
— そのお店では、どんなことを学ばれたのですか?
料理はもちろんなんですけど、そこは鉄板の居酒屋だったので、お客さんとの距離の測り方とか、
— カウンター商売ですね?
カウンター商売です。そのノウハウだったり、「居酒屋はこうやると楽しい」というか、「お店もお客さんも互いに楽しい瞬間があるよね」とか。あとはスタッフの育て方だったり。「飲食ってこういうことをやっていくと、ここまで売上が取れて、こういうふうにできていくよね」っていうこととか。居酒屋っていうもののノウハウを教えていただきました。
— 独立するって決めたのは、いつぐらいでしたか?
独立するっていうのはその店に入った時にはもう決めていたんですが、実際にいつ独立するかは、コロナが明けて、すぐのころ。自分の中で「もう行かないとな」って思って。それで今年(2024年)の3月に辞めたんですが、その2年前にはその日取りは決めてました。
— 山翠舎に内装を頼んだのは、どういった経緯があったのですか?
山翠舎さんを僕は知らなかったんですけど、松本市でこの物件を獲得したとき、デザイナーさんは誰にお願いしようかなと思って。東京に知り合いのコネがあったので、そこにお願いしてみようかとも思ったんですけど、せっかく長野で商売をやるって考えた時に、長野の人たちとお店を作ることに重きを置きたいなと思ったんです。
それで探していくなかで、山翠舎さんのことを知って。実は山翠舎さんが施工したお店、僕、知らなかっただけで、東京でけっこう行ってたんです。「このお店、内装がいいなあ」と思ってたところが全部、山翠舎さんだったんです。
— 例えば、どんなお店を?
人形町にある「いわ瀬」さんだったり、荻窪にある「煮込みや まる。」さんだったり、三軒茶屋の「すこぶる」さん。しかも「すこぶる」さんは楽コーポレーションの先輩でした。
なので山翠舎さんの施工事例を見た時に、ああ、いいなと。そもそもこの蔵をうまく扱ってくれる人じゃないとダメだと思ってたので。それですぐ電話しました。
— 物件探しは大変でしたか?
正直、ギリギリだったかもしれないです。
最初の一年はざっくり松本の街を観察していたので。いろんなエリアを確認したり、どういう店があるかを見ていて。そこから実際に物件を探し始めたものの、いいなと思っていたところがまだ出ていなかったり、もう工事が入ってたり。物件は「けっこう内々で決まっていく」って聞いたので、「やっぱり、自分が月一で東京から来るだけじゃ難しいのかな…」って思ってた、その矢先に決まりましたね。
それがなかったら、決まらないままこっちに来てたかもしれないです。会社を辞めたのが3月末で、こっちに来たのが5月だったので。
— 実際にお店ができあがって、どんな感想を持たれましたか?
まず僕がいちばん驚きました。イメージ図や図面は見させていただいてたんですけど、実際にできあがったものが想像以上に良すぎて。今でも緊張します。居酒屋なのにこの雰囲気はカッコ良すぎる。お客さんもみなさん驚かされますね。「すごい空間だね」と。
— 久保田さん的にこだわったポイントはありますか?
12席あるこの広いカウンターですかね。カウンターの上にお皿とかを置いてる店がけっこう多いと思んですけど、僕はどうしてもフラットにしたかったので、食器を隠せるように上の棚を作っていただいたり、内側に高さを出してるので、その高さの部分に隠したりできるようにしたり。「スッキリとしたカウンターに仕上げたい」というのは、こだわりましたね。
それと天井でも梁を見せる部分と、見せない部分。温故知新じゃないですけど、新しく作り上げた部分と、昔からある蔵の姿を見せる部分。いずれもうまく残していただいたなと。
— これからどんなお店にしていきたいですか? そしてどう展開していきたいですか?
松本市で何店舗かやりたいっていう構想があるんですけど、まずはこの店を定着させたいなと。最初のこの店が勝負だと思ってます。そのためには、まずは人を育てて、お客さんを育てて、っていうところですかね。
まだスタートして2ヶ月ですけど、ちょっとずつ手応えを感じているというか、リピーターさんが何組も来ていただける状態になってきているので、少しずつそういう状況を作っていき、まずは毎日満席になるような店にしていきたいなと思います。
— 今日はありがとうございました。